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「想い」だけで起業はできる!最後は「自分がどう生きたいか」だけ!!

2019年3月頭、思いもよらぬ人事異動の辞令を受け、それから3日後に辞表を提出して大手証券会社を辞めて起業をしました。
初めて会う方に経歴を話すと必ずと言っていいほど「よく大手企業を辞めて起業しましたね。」と言われます。
実際、私も大学卒業時は自分が起業するなんて夢にも思っていなかったし、このタイミングで会社を辞めることも想像すらしておりませんでした。
まず自己紹介として、自分が起業した経緯や想いをnoteしてみたいと思います。

仲野真人の経歴

2005年3月 立教大学経済学部経済学科卒業
2005年4月 野村證券株式会社入社 千里支店配属
2009年9月 野村證券株式会社 自由が丘支店配属
2012年12月 野村アグリプランニング&アドバイザリー株式会社 出向
2019年3月 野村證券株式会社 退社
2019年4月 明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科 入院
       ㈱食農夢創立および代表取締役就任
2021年3月 明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科 首席卒業

野村證券時代の7年間は支店にてリテール営業として主に個人向けの資産管理を担当。また出向先の野村アグリプランニング&アドバイザリー㈱では農林漁業分野の調査・コンサルティングを担当。2018年には基幹職(課長)に昇格。

転機となった子会社への出向

入社して7年間は、大阪の千里支店と東京の自由が丘支店で俗に言われる「ノルマ證券」のイメージそのままの営業を行っており、営業のイロハから野村證券の凄さ・厳しさまで体に叩き込まれた。

ターニングポイントとなったのが2011年12月の野村アグリプランニング&アドバイザリー(NAPA)への出向である。NAPAは2010年9月に設立されたばかりの、農林漁業分野の調査・コンサルティングを専門的に行う会社であり、たまたま2011年にNAPAへの社内公募の案内を見つけて応募し、運よく選考されて出向することになった。

野村アグリプランニング&アドバイザリー株式会社

目の当たりにした農林漁業の課題と可能性

NAPAでは主に6次産業化(農林漁業の生産から加工・販売までを一体的に行う:1次×2次×3次=6次産業化)を担当していた。全国の6次産業化に取り組む農林漁業者や2次・3次事業者を訪問してヒアリング調査や分析をする中で感じたことが、まだまだ農林漁業単独では「産業化」できていないということであった。従来の流通形態では多くの農林漁業者は「生産(1次)」だけで食べていくことは極めて難しかった。また、打開策として取り組んだ6次産業化もハードルが高く、全国各地で失敗する事例が多発していた。

その一方で、農林漁業者が栽培面積を拡大したり、6次産業化に取り組んで成功している農業法人、また異業種から農業分野に参入して成功する事業者も増えていた。まさに農林漁業の光と影を目の当たりにしたのである。

次世代経営者との交流がきっかけでMBAへ

そのような中で、私が気になったのが次世代の経営者層である。全国で成功している農林漁業者および農業法人は地域ではレジェンド的な存在になっている。一方で、その後継者は私と同世代が多かった。同世代であったこともあり仲良くなり、東京や地方で一緒に飲むことが増えた。その際に口を揃えて言うのが「父親の後を継げるか心配である」という言葉であった。

私はだんだん「自分がもっとマネジメントを勉強して、彼らをサポートをしたい」思うようになり、上司にも相談した上でMBAに通うことを決意。そして、尊敬する食農分野の経営者の方々がOBでもある明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科を受験し、見事合格できたのである!
2019年4月からNAPAで仕事をしながらMBAに通う予定であった・・・。

想像だにしなかった野村證券への人事異動

MBAへの入学金および授業料も支払い終わった矢先のことだった。忘れもしない2019年3月4日(月)の夕方、懇意にしていた企業のイベントに参加していたら、NAPAの社長から1本の電話。「仲野くん、異動だから戻ってこれる?」

「はっ!?」

余りにも予想だにしなかった事態に、訳が分からないまま帰社。そのまま飲み会へ。異動先は野村證券のインベストメントバンキング(投資銀行部門)。野村證券社員にとっては花形であり、普通だったら喜ぶところだったのかもしれない。しかし、自分が進みたい道筋が見え、4月からMBAにも通うことが決まった矢先での異動に喜ぶどころか納得がいくわけがなかった。

最後は自分がどう生きたいか

その日を含めて3日間は生きた心地がしなかった。周囲からは「本社に戻ってもMBAに通える」「また農林漁業分野に戻ってこれる」と言われた。しかし、課長という立場でまったく新しい部門には部下がいる。そこで『「MBAがあるのでお先に~。」と言って部下が納得するのか?』「それで仕事で結果を残せなかったら、1年で地方に飛ばされるかもしれない。そしたら野村證券人生すら終わり。」「そもそも農林漁業から離れてMBAに通う意味があるのか?」とネガティブ思考で堂々巡り。

また、「次の部署に行ってやってみてから決めたら?」と助言もいただいた。しかし、次の部署で仕事を始めてから「やっぱ辞めます」というのはあまりにも無責任だし、迷惑をかけると思った。辞めるなら異動する前に辞めるべきだし、残るのであればMBAは行かず、払い込んだ入学金と授業料はあきらめるしかないとまで考えた。

周囲からもドン引きされるくらい悩み抜いた末、最終的な決め手となったのが「自分がどう生きたいか」であった。野村證券にしがみついて生きていけば安泰かもしれない。でも、これから5年後・10年後の野村證券での自分の姿が全くイメージできなかった。
一方、「人間が生きるためには食べることは必要であり、農林漁業はなくならない! むしろ、同世代が経営を継いでいる5年後・10年後が農林漁業の全盛期にしてみせる!」と腹を括り、異動を知らされてから3日後の3月7日(木)に辞表を提出したのである。

想いだけで飛び出し、ミッションを会社名に

まさに急転直下の退職劇であった。3月末まで農林水産省の事業の報告書の作成もあり、ろくに引継ぎもできず、お世話になった上司や同僚にもほとんど連絡できずに会社を去ることになった。

会社を飛び出したものの本当に次は何も決まっていなかった。有難いことにいくつかの企業からは転職の誘いもいただいたがお断りをした。せっかく野村證券を辞めたのだから、まずは起業して一人でやってみたいという気持ちが強かった。そして会社名は「食農夢創」にした。『「農林漁業」を「夢」のある「食産業」へ「創造する」』という想いをそのまま会社名にしたのである。そして、その想いは今は会社のミッションになっている。

「MAKING AGRICULTURE, FORESTRY AND FISHERIES DREAM COME TRUE」は友人が考えてくれた食農夢創の英訳である。ドリカム世代の自分としてはめちゃくちゃ気に入っている(笑)

一度きりの人生、自分がどう生きたいか

人生にはターニングポイントがいくつかあると言われる。就職活動時は大手企業に入ることが目的だった私にとって、そのターニングポイントがNAPAへの出向であり、また野村證券への異動であったのだろう。

自分が起業したから偉いという言うつもりもない。個人だからできるようになったことも多いが、大企業でしかできないことの方が多いようにも感じている。しかし、全ては「どう生きたいか」。そして5年後・10年後に笑っていられるかはこれからの自分次第である。

Dream会(集合写真)

※退職後に自分で企画から運営までした「退職&起業祝パーティー」

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仲野真人
「農林漁業を夢のある食産業へ創造する」というミッションを実現するために活動を続けております!何卒よろしくお願い申し上げますm(_ _)m