校閲という仕事における「力の入れ方、抜き方」について。

【注:この記事は、アメブロへ2023年4月3日に投稿した記事を、筆者本人が内容を変えずに移植したものです。】

皆様こんばんは。

4月に入り、新入社員もたぶん出社した(今年は校閲部採用がなく、編集のことは全く分からず、、、)今日この頃。

私が所属している会社、というかもう隠す必要もないので、新潮社ですが、この会社は古き良き伝統を重んじるところがあり、新しいことをやりつつも前例踏襲もしっかり忘れない、というような会社です。その社風に合う人、合わない人、というのがどうしても出てきてしまいます。ぜひ、新入社員や2年目、3年目の社員が未来に希望を持てるような、そんな会社であってほしい、と切に願います。私も微力ながらその手助けができれば、、、と、思ってるだけで何もできてないわけですが。


さてそんな話はおいといて、今日は力の抜き方の話をば。


校閲の仕事というのは本当に力の入れどころ、抜きどころが難しく、力を入れまくってると意外と肝心なところを見落としたり、力を抜きすぎるとちゃらんぽらんな仕上がりになってしまったりと、なかなかセンスの問われるところではあるのです。


一つ言えるのは「ちゃんと休め」ってことなんですよね。


どんなに優秀な人でも、休まないとだんだんミスが多くなってきます。なぜなら、時間が無制限にあるわけではないからです。限られた時間の中でハイスコアを出すにはなかなかの集中力と要領の良さが必要で、それは「眠くない」ことが大前提だったりして、そんなの社会常識だろと思う方もいるかもしれませんが、眠くない、のレベルが他の仕事とちょっと違ったりするのです。

陶芸家、ダイヤモンド職人といった職業に少しだけ似ているかもしれませんが、集中しているときは一寸の狂いもない正確性が求められる、みたいな局面もあったりはします(気を抜けるタイミングももちろんあるので職人さんほどではないかもしれませんが)。

なので、仮に労働時間が短めの日があったとしても、終わったら結構ぐったり、ということはありますし、それでいいのだと私は思います。前も書きましたが、模擬試験みたいなことを毎日何時間もやっているようなもので。


さらに、雑誌の場合は特にそうですが、一人で仕事をしているわけではないので、自分だけ根詰めて作業することはむしろ周りにとってのボトルネックになる可能性もあるのです。「ゲラ離れ」とよく言いますが、あんまり自分の手元でゲラを滞留させてはいけない、でも早すぎてもそれはそれで、という、塩梅の難しさがあります。

そのバランスは意識的に仕事をこなしていくことで身につけていくしかないでしょう。

「テキトーにやる」とまでは言いませんが、あんまり無理しちゃいけない、というところがわかるようになれば、気持ち的にも楽に、のびのびと仕事ができて、そういう時こそファインプレー的な疑問が出たりとか、良い方向に回っていく機運が生じうると思うんですよね。


この辺りのことを、若手で根詰めすぎている人がいたら(今のメンバーには多分いませんが)、そのことだけは伝えたいなあと。他に伝えられることがあんまりないからこそ。


とにかく、校閲の仕事というのは、校閲そのものの能力というよりは「捌き方」、「要領」、そして「コミュニケーション能力」が意外と大事なのですよ、と。校閲能力を磨いているだけの人は独りよがりになる危険性がありますから。


偉そうに色々書きましたが、自分自身も忘れてはいけないという戒めのもと、つらつらと失礼しました。


空気階段の踊り場、「カネカリダウト」めちゃくちゃ面白かったですね。ここ最近の放送の中で一番面白かったのでは。岡野回にハズレなし、ですね。本放送、アフタートーク共にpodcast等で是非聴いてみてください。


ではまた!

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