ファクトチェックにおける「勘所」と「深度」の話。 #校正 #校閲
こんばんは。
なんだかんだ、早くも新年2本目の投稿です。普段はnoteやXに書く話題すら自分の中から全く出てこず、ずっと放置したりしているのに…不思議なものです。
が、書ける時に書いときましょう、ということで、ちょっと校閲業における調べ物(ファクトチェック、事実確認)の話を、まだまだ試論レベルですがこちらへ。いつも通り、自分の能力は棚に上げますね。
以前の投稿( https://note.com/masato_koya/n/nd105c9f34cc0 )で、ファクトチェック(調べ物)の4技能について、ということを書きました。それは、
A 正確な事実が参照できることがらについては、素早くそれに辿り着く技能
B 辿り着いた事実とゲラ上の文章の整合性を正確に、素早く確認する技能
C 事実確認に濃淡をつける技能
D 事実確認に見切りをつける技能
の4つでしたが、今日はそのB以外3つの話(の一部)、と言えるかもしれません。
以下、今回は「インターネットで調べられること」についての話にとどめ、文献からの引用照合などの話は省きます。媒体は一般的な書籍(ジャンルはエッセイ)を想定します。
かねて私は、調べ物の効率化、ないしはレベルアップを図らないと、ネット時代の「何でも調べられちゃう」状況の今、校閲者の仕事量(もっと言えば、単価当たりの仕事量)は増える一方になり、非常にQOLの低い仕事になってしまう。そしてそれが常態化してしまうことは業界にとって絶対に好ましくないことである、という趣旨のことを方々で話したり書いたりしてきました。言い換えれば、”調べ物にかける時間”の意識についての話です。
ですが、調べ物というのはたとえば「現職外務大臣の名前」とか「週刊少年ジャンプ最新号の定価」のような、答えが明らかに1つしかない(かつ、容易にアクセス可能な情報である)ものについては、もちろん”校閲者がちゃんと調べて、間違っていたら指摘しなければならない”たぐいのものであるわけです。私は当然、そこを怠って良いと言っているわけではありません。というかむしろ、そういうことほど見落としが怖いものでして(経験者ならわかる)、そのまま通ってしまえば大問題になりますから、単純明快な調べ物ほどガシガシっと岩に楔を打ち込むように、力強く、着実に一個一個こなしていかなければならないわけです。
しかし、以下のような例文の場合はどうでしょうか。なお、すべて自作です。
① メスの鮭1匹から、イクラは約2,500匹取れる。
② 昨今はディズニーランドよりディズニーシーのほうが若者に好まれるらしい。
③ とある研究結果によると、朝食を摂らない人は、摂る人に比べて熱中症のリスクが3倍になるそうだ。
さて①から。
①のような文章があって、ネットで全く調べない校閲者はいないと思います。私もちょこっと調べてみると、イクラは2,500個でなく”3,000個前後”としているサイトが多いようです。また、調べ方を変えて”鮭の産卵量”でググってみると、たとえば「サケのふるさと 千歳水族館」のHPには
>サケのメスのお腹には、だいたい3,000~4,000粒の卵が入っています。
と書かれていますし(https://chitose-aq.jp/info/qa.html) 、
「旺文社 生物事典」(ジャパンナレッジ所収)にも
>平均3,000個を産む
との記述がありました。
よって、これらの典拠を明示して、”約3000個or粒”もしくは”3000~4000個”などとするよう疑問を出すのが一案かと思います。
*なお、ちょっとひっかけなのですが上の例文ではわざと2500”匹”としています。意地悪ですみません。
ただ、ここで注意したいのが、やはり「調べ物にかける時間」、そして「疑問の書き方」です。
まず、調べ物にかける時間ですが、この一文に10分も20分もかけてしまっていては、その方は他の似たような文章でも必要以上に引っかかってしまっていると推測されますので、なかなか仕事が終わりませんし、他に大きなミスを犯しやすくなっている状態かもしれない。
校閲の職務上、勘所をおさえて、信頼できるサイトや百科事典にすばやく到達する技能というのは、どうしても身につけて磨いていく必要があります。時間によってはサイトと辞書の両方ではなく片方になってしまっても良いと思います。
ここで、疑問の書き方ですが、何の説明もなく「2500→3000?」とするのはとても不親切というか不適切ですよね。”典拠”を簡潔に示して、わかりやすく説明することが大事です。
さらに重要なこととして、著者は多くの場合、何らかの資料をもとに記述しているということ。
つまり、①の例では”鮭1匹からイクラ2500個”と書かれた文献や資料などが、著者の手元にある可能性もけっこう高いということなのです。今回はエッセイを想定していますが、大学教授による学術系の読み物だったりしたらさらにその確度は高まりますよね。教授の専門分野ならなおさらです。
もちろん、教授でも誰でもなんとなくの記憶で書いている、というケースもあるでしょう。しかし、著者のお手元に資料がある場合、そしてその資料が信頼に足りうるものである場合、校閲の指摘通りに修正する必要などないわけです。
鮭の例でも、じつは”1000~6000個で、個体差がある”と書かれたメーカーのサイトもありましたし、個体差のみならず種類によっても違うのではないかと思います。上記の生物事典でも「平均」とあったわけですから。
鮭の例にとどまらず、「本当の事実とは?」と考えると、実は複雑なものなのです。こうしたことを念頭に置きながら校閲者は仕事をする必要があります。
イクラの数(だいたいは分かるがはっきりしない)と外務大臣の名前(絶対にはっきり分かる)はファクトとしては全く別の属性のものになるわけです。
私は、「調べたけどはっきりはわからなかった、でも疑問としては出す」という場合にはたまに、「こちらの調べが間違っていたら申し訳ありません」とゲラに正直に書くようにしています。人対人なので、このくらい慎重であるほうが望ましいと私は考えています。
①でだいぶ字数を使いましたが、次は②。
「昨今はディズニーランドよりディズニーシーのほうが若者に好まれるらしい。」
校閲者の方は、こうした一文を普段、どう扱っていらっしゃるでしょうか。
ある人は固有名詞の確認にとどめる、また人によっては”本当にシーのほうが好まれているのか”調べる、という向きもおられるでしょう。
私の考えでは、こうした場合は端的に言って固有名詞しか調べなくて良い。
まず、仮にこうした動向を調査しているアンケートのようなものがあったとしても、アンケートの時期や調査会社などによって、結果はまちまちでしょう。調査名が明示されているならもちろん調べるわけですが。
さらにこの一文のポイントとしては、末尾が”らしい”となっていることです。
これは私がよく思う日本語の文章あるあるなのですが、”~らしい”、”~という傾向にある”とか”~と言われている”、”~という意見をよく目にするようになった”という書き方がなされている場合、ファクトチェックの深度はやや、もしくは、場合によってはかなり下げてもよいのではないか、ということ。こうした例は、実はけっこう多いのです。
ハッキリ言って、たとえば仮に○○という調査でシーよりランドのほうが若者に人気、という結果が出ていたとしても、②の文章を直す必要はないと私は思います。理由は上に書いたことと重なりますが、事実が一つではない事象についての話だからです。
文章の意図、構造を理解・把握すれば、意味のない深入りをせずに済むのです。②は簡単な例でしたが、ほんと意外とよくあることなので、調べ物に時間がかかって仕方ない! とお悩みの方は、是非このポイントに注意していただきたいです。どうしても「本当にシーなのか?」という疑念が拭えないのであれば、その箇所に未確認マークをつけてゲラを戻せばよいのです。ただし、些細なことまでなんでもかんでも未確認、未確認では嫌がられると思いますが…。
ともあれ、②のような文章で深入りしないことにより、他のこと(もっと大事な調べ物や素読み、合わせなど)に時間をちゃんと使える。それが巡り巡って、致命的ミスの撲滅へと確実に寄与するわけです。
私は、「これは誰かが求めている調べ物なのか?」「必要な調べ物なのか?」と日頃から自問する癖をつけるようにしています。
つづいて、③。
「とある研究結果によると、朝食を摂らない人は、摂る人に比べて熱中症のリスクが3倍になるそうだ。」
パッと見で、とっても危険な一文という香りがしますね(自分で書いた例文なので何とでも言える)。まず、”3倍”とあるので、そこを手掛かりにしてざっと調べてみます。ですが、出てきません(自分でテキトーに書いた例文なので当たり前です)。
また、”とある研究結果”、”~なるそうだ”という記述からも、とても曖昧な書き方にしていることが窺えますよね。
もしこの文章がゲラに出てきた場合、正直言って、長くても2分(後述の”例の紹介”をするなら、5分)くらい使えば十分だと思います。それ以上は時間の無駄ともいえます。なぜなら、お手上げだからです。
ベストな乗り切り方としては、「未確認であることを明示する」、かつ「○○大学の調査では△倍でした」というような例を提示させていただく、ということになるわけですが、現場ではよく、後者の”例の提示”ということに時間がかかってしまう場合があります。ですから、仕事のパフォーマンス向上を図るなら「未確認の明示」なおかつ”念のため、大丈夫かどうか今一度ご確認ください”と著者と編集者にお伝えする、これで校閲の職掌はじゅうぶん果たしているのではないかと思います。言い換えれば、「バトンタッチ」ということです。校閲者が一人で抱えるべきことではないのです。
もちろん、③のようなテキトーな文章がそのまま世に出てしまうのはどうか、というところなので(いくらぼかした書き方をしているといえども)刊行までに何らかの修正が必要なはずです。
しかし、その修正に至るまでの代案を校閲者がどこまで出すか? どこまで介入すべきか? という問題について、校閲者はよく考えた方が良い気がします。
⭐︎ここで追記しますが、私は「代案を出さなくて良い」と言っているのではありません。むしろ、適切でわかりやすい代案を出すことは、ものすごく良い効果を生むことが現場では多いです。しかし、それもケースバイケースですよという話です。以前の投稿にも書きましたが、「限られた時間の中で適切な代案を出す能力」を磨くことも校閲者には必要です。
ここで、①の文章に色々と細工した以下の文章を考えてみるとさらにわかりやすくなるかもしれません。
①' たしか、メスの鮭1匹から、イクラは約2,500個くらい取れるとどこかで読んだ気がする。
こうなると、ファクトチェックの深度としてはやや下げてもかまわないと言えます。仮に間違っていても著者自身が「たしか、」「どこかで読んだ」と言っているので、思い違いに基づいた文章であっても絶対に許されないというわけではありません。ただ、時間があれば①の項で書いたような指摘をしたほうが親切です。
しかしここで注意したいのは、2,500が25,000とか、ケタが違っていたらさすがになあ、とか、あとは世の中には「思い違いでは許されないこと」、例えば存命中の人物を「亡くなった」と書いてしまうこと、などもありますから、これもケースバイケースで、どんなに曖昧な書き方がされている文章であっても、最初の時点では注意深く考えていかなければならないのは同じことです。つまりは、
「まあ、だいたいで良い」ということと、「いや流石にこれはなぁ」ということの線引きに自覚的になる、という話です。
ながなが書きましたが、結論として。
原稿に何らかの修正を加えるとして、それを最終的に決定するのは校閲者ではなく著者です。当然のことですが、校閲者は仕事に没頭するあまり、しばしば調べ物の深入りをしてしまいます。そして、深入りには必要な深入りと不要な深入りがある。
あくまでケースバイケースですが、”未確認である、かつなんか怪しいかもということを明示する”、校閲者としてはこれだけで充分で、あとは深入りせずに関係者に委ねる。こうしたやり方で充分であることも結構多いのです。
”拾わねばならぬところは確実に拾う”、と同時に"答えが1つではないような書き方や話題については、時間をかけすぎずバトンタッチし、著者側に委ねる”。
ちょっとずつ自分の考えが明文化できてきました。
調べ物というのは、ジャンルによりけりですが、書き下ろしの初校、特にノンフィクション系ではかなりの時間がかかるものです。
技能を向上させつつ、「深入り」について立ち止まって考えてみる。
私もまだまだ訓練が必要ですが、同業者の方にとって何かの参考になれば幸いです。
次は、AIと調べ物の関係についても、また改めて考えてみたいですね。
あと、今日書いた話って校閲者以外の何らかの職種の方にも役に立つ話であるような気もするのですが、世間知らずなので全く思いつきません…。校閲の話だけだと間口がどうしても狭くなるので、「広がり」という意味でも「この業種でも使える!」等、何かアイデアがあれば教えてください。
お読みいただき、ありがとうございます。
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