事実確認(ファクトチェック)における作業効率向上・品質向上のための技能について。【序論】

こんにちは。
これから、タイトルにあるように「事実確認(ファクトチェック)における作業効率向上・品質向上のための技能について」というテーマで書き進めようと思います。今回はその序章のような位置づけです。

ジャンルや媒体にもよりますが、私たち校閲者は日々の仕事において、多くの時間をファクトチェックに割いています。
新聞や週刊誌の時事ものだけでなく、政治や経済、歴史などを扱った書籍など、または美術関係や科学系の書籍など、いろいろな媒体で細かいファクトチェックが必要で、それにかかる時間は書籍の初校では数週間におよぶこともあります。
場合によっては、普段の仕事の半分くらい、もしくはそれ以上がファクトチェックに充てられるような状況もあったりします(いっぽう、一部の小説など、ファクトチェックがほぼ必要ないジャンルの文章もあります)。

*念のため追記しておきますが、私は今ここで、主に「ネット調べでできる範囲内でのファクトチェック」について記しています。資料との引き合わせ(引用照合)と、その照合のための資料を誰が用意するのか(編集者、校閲者、作家さん…)という話をすると、また別のトピックになってしまうので、今回は触れません。

現代では様々な要因によって、ファクトチェックの重要性が増していることは論を俟たないでしょう。SNSにおけるデマ投稿の拡散は社会問題化しています。
そのため、ファクトチェックの技術、方法についてまとめられている本や記事などもたくさん出てきています。
しかし、私自身、校閲の現場にいてよく思うのは、「ファクトチェックはただ1から10まで単純に調べ物をすればいいだけのものではない」ということです。
そもそも、この世界は、すべての事象が一つの事実と結びついているわけではありません。たとえば「日本の第45代総理大臣は誰か」といったことがらであれば、「吉田茂」という一つの事実がありますが、「日本では、夫婦別姓に反対する意見がいまだ根強い」という一文においては、事実、調査によって数字が大きく異なったりしますし、「いまだ」「根強い」といった筆者の書き方や前後の文脈によっては、校閲者として考えるべきこと、ゲラに指摘すべきことの書き込み方なども微妙に変わってきます。このように、ファクトチェックというのはただ単純にネット検索すれば済むというものではないのです。
さらに、(ちょっと語弊があるのですが)全部を完璧に調べようとすると、時間がいくらあっても足りない、という状況も出来しますし、後述しますが「文脈的に、厳密に100%一致していなくても良い」ファクトというのも、実は多く存在したりします。
また、ファクトチェックにばかりリソースを割いてしまうと、それ以外の重要な校閲業務(「合わせ」や「素読み」と呼ばれるもの)がおろそかになってしまう、時間を割けなくなる、というのも“校閲あるある”です。
ダメ押しのようにもう1点付け加えると、ファクトチェックにも「濃淡がある」。この点も、今まであまり語られることがなかったかもしれませんが、私はとても重要なポイントだと思っています。
もちろん、私は「ファクトチェックを軽視して良い」と言っているのではありません。むしろ、ファクトチェックは非常に重要です(当たり前ですが)。
だからこそ、勘所と言いますか、ポイントをしっかり押さえた作業が必要になるということなのです。これはクライアント側、編集者側からみても他人事のトピックではありません。詳細はまた今度にしますが、校閲とクライアントの間にミスマッチが生じている可能性もあります(この点についてお互い、深く考え議論する機会が業界内にもほとんどなかったのではないか、と私は推測しています)。

仕事はボランティアではありませんし、校閲はファクトチェックだけしていればいいわけではありません。

ここからは、ファクトチェックの勘所について、具体的な文章をまじえながら、自分自身でも考え、学びつつ、方法論を記していきたいと思います。「ファクトチェックに時間がかかりすぎる」という悩みを持つ校閲者の方も多いのではないかと感じています。一緒に勉強していきましょう(突然の呼びかけ)。

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【ファクトチェックの4技能について】

①正確な事実が参照できることがらについては、素早くそれに辿り着く技能
②辿り着いた事実とゲラ上の文章の整合性を正確に、素早く確認する技能
③事実確認に濃淡をつける技能
④事実確認に見切りをつける技能
 
この4技能は、自分で考えたもので、すべての事象を網羅できているかはわかりません(以前Xにも書いたものです)。
以下の項で、この4技能について、具体例をまじえながら書いていきたい…


と思っていたのですが、ここから何週間も筆が進まないのです。やはり、完全に自発的な状態では、体系立てた校閲論を書くことは現状の生活や、仕事とのバランス的に、そしてそもそも「何のために書くのか」というモチベーション的に、ちょっと難しそうです。今は。
そのモチベーションが湧いてくるまで、もしくはどなたかがそのモチベーションを焚きつけてくださるまで、ちょっと待つことにして、この文章は一旦【序論】のみで投稿しようと思います。
 
尻切れトンボですみませんが…、ではまた!


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