新年の抱負について。

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

中身のうっすーい投稿ですみませんが、生存確認も含めまして。
週刊誌はすでに仕事がスタートしています。三が日は新宿駅の乗り換えもいつもより人が少なく、電車もガラガラで過ごしやすかったですね。普段、東京の街にいかに人が多すぎるかということを改めて実感しました。

さて、新年の抱負を。
今年も、ベストコンディションで仕事やそれ以外のことに臨めるように「体調管理」を最優先に生活します。
仕事については、今の担当になってからすでに2年半。今年の年末には(当たり前ですが)3年半となります。3年半というと、割とやってるなー、折り返しは確実に過ぎてるかなという印象でしょうか(過去の例では週刊校閲は長くても6年くらい)。
1年、50冊も作ればまた色々なことがあるでしょう。小さな失敗、大きな失敗もあるかもしれません。
もちろん失敗は最小限に努めつつ、最大限に効果を出せるような校閲の手法、技術を日々磨いていきたいと思います。
その鍛錬は、全く明文化されず、ゲラを通じてでも意外と共有されにくい、孤独な営みではあります。
しかし、何年も経った後、何らかの形で明らかな違いとしてあらわれてくるものだと思います。

私は、校閲のようなある意味職人的な仕事の場合、キャリアとともに技能や守備範囲、キャパシティのようなものを確実に向上させていかねばならないと考えています。
それは、技能と引き換えに、年齢とともに失っていくものがいろいろあるからです。体力、視力、気力…。
せめて技能くらいは、30歳より40歳、50歳、60歳…とさらなる向上を企図せねばならないのです。
しかも校閲は「言葉」というなまものをじかに扱っているわけですから、感覚や知識のアップデートも日々、必要になってきます。
こういうことを考えるとき、私はしばし「複利」という概念が頭に浮かびます。
技能の向上が年に5%だとしても、15年で2倍に到達します。10%なら7年ほどです。向上のスピードは年によっても、そして人によっても違うと思いますが、少しずつでも技能を向上させていく「意識」があるかないかで、10年、15年経てば取り返しのつかないような差が生まれているわけです。
校閲業界では慣例的に、こういう具体的な数値目標のようなものがあまりないと思いますし、技能を数値化することがそもそも困難なのですが、あぐらをかかず、自分自身に目を向けて、コツコツ取り組んでいけたらと考えています。
なんか新年の抱負というより人生論そのもののようになってしまっていますが…。

あとは、やっぱり何か勉強したいですね。韓国語はハングル3級まで取れましたが、準2級の暗記量のあまりの多さ(熟語とか熟語とか)にたじろいで休止中です。今は中学受験の国語が面白いです。センター国語(今は名前違うけど)も今解いたら面白いんだろうなあ。なんとなく似たような業界のプロではあるので。需要があれば頑張ります。何のだよ…。

まあとにかく一にも二にも体調管理。体だけでなく心もです。そのためのストレス解消としての趣味(カラオケ、お笑いラジオ鑑賞)はひきつづき。カラオケAi採点100点達成したいですねー。達成したら必ずここではなくブログのほうでドヤらせていただきます。。。

とりとめもありませんが、新年のご挨拶に代えさせていただきます。
頻度は少ないかと思いますが、また投稿いたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
また、土曜の夜の勤務後(まさに今)でしたら比較的動きやすいので、何かあればその時なら色々できたりお話ししたりが可能です。何らかの形でご連絡ください。逆に言うと他の曜日、時間は家庭の事情等もありなかなかフレキシブルには動きにくいところです。

https://twitter.com/masato_koya_m


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