書き手と読み手の違いについて。

【注:この記事は、アメブロへ2024年8月10日に投稿した記事を、筆者本人が内容を変えずに移植したものです。】


こんばんは。

帰省中で、みんな寝てしまったので、今思うことをざざざっと書いていきます。理路整然と書けるかわかりませんが、ご容赦ください。


昨日、毎日新聞さんのウェブサイト「毎日ことばplus」様に、寄稿させていただいた記事がアップされました。宜しければ、是非会員登録のうえ、読んでいただければ幸いです。


【甲谷允人さん寄稿】校閲とAI会員限定記事(登録無料)新潮社校閲部の甲谷允人さんに寄稿していただきました。

salon.mainichi-kotoba.jp


有り体に言いますと、自分の仕事について文章を書き、お金が発生する、というのは初めての経験でした。

いままでにも、インタビューを受けたり、講座やトークイベントに参加したり、というのは何度もありました。しかし、自分が書いた文章のみで、というのは37歳にして初めて。

この経験から、色々と学ぶことがありました。

まず、やはりゼロから文章を紡ぎ上げるというのは多くの困難、痛みをともなうものだなと感じました。今回も、2つのテーマで規定字数書いた後に、両方をボツにして、3つめの「校閲とAI」というネタで送ることにしました。

ちなみにボツにした2つというのは、「私の新潮社での13年半について」と、「校閲という仕事に対する世間のイメージと、実際との違い」、という2つです。もし読みたい方がいらっしゃいましたら、ご依頼をお待ち申し上げております。(汗)


ボツにした2つは、一見、面白そうかもしれませんが、書いてみるとなんだか通り一辺倒、月並みな話に思えてしまい、自分で読んでて面白いなあというレベルには達していませんでした。

かと言って、3つめがバッチリ面白いか、と言われればもちろん自信はありません。が、3つめを書いてようやく、「あ、出せるレベルかも」と思ったのは事実です。

私は、校閲者という仕事をまがりなりにも14年近く続けていますが、「書いたものを誰かに評価してもらう」という経験がほとんどありません。「誰かが書いたものをひたすら読んで、校正する」ということは幾度となく経験してきました。が、自分が書く、という段になると、それまでの経験は全く通用しません。脳みそも、別の部分を使っている感じです。

もちろん、自分が書いたものを読んで、手を加えて、といった作業の時に、校閲のスキルは大いに役立ちました。しかし、仮に優秀な校閲者がいたとして、その人が「優秀な作家」と同義であるはずもありませんから、それとこれとは全く別のものであることは確かです。


しかし今後は、書くことについても、磨いていきたいという気持ちが強いです。

私は、もしかしたら現時点では、書くよりも話すほうが得意かもしれないです。それくらい、書くことは個人的な趣味の域を出ていません。でも、これからはそこを一歩飛び越えて、いろいろなところに書いてみたい、という気持ちがあったりします。というか、あるだけです。


まだまだ書きたいですが、眠くなって来たのでここで。

推敲もしません。すみません。


ではまた!

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