2024年が始まった(調べ物についての余録)

【注:この記事は、アメブロへ2024年1月3日に投稿した記事を、筆者本人が内容を変えずに移植したものです。】

明けましておめでとうございます。


本年も、この業界の最果てにひっそり佇む駄文ブログを、これまたひっそり更新していきたいと思います。宜しくお願い申し上げます。


2024年は、早々から色々と大変なことが続いております。

被災地の一刻も早い復興を願うばかりです。


週刊誌の仕事始めは明日です。早速土日月出勤で、三連休の世間と逆の動きになります。

仕事のほうは、つつがなく、コツコツとやっていけたらと。


仕事以外では、「リラックスして過ごす」を今年の大目標にしたいと思います。

普段、家族の介護をしていると、仕事や体調のサイクルが良くない時、自分自身のコンディションが一気に悪くなります。

今年は、表現が難しいのですが、なるべく敏感にならないように過ごす。これに尽きるなあと思っています。

その上で、韓国語の勉強もコツコツ頑張って行こうと思います。準2級のテキストを解き始めていますが、知らない単語ばかりで早速打ちのめされています。今年の11月の試験に間に合うかはとても微妙ですが、無理せず少しずつ実力をつけていけたらと。


…なんとつまらない内容だろうか。

他人の所信表明ほどつまらないものもないですね。


校閲小咄を一つ記して終わりにしますね。

(以下、かなり端折って書きますのでツッコミ不要です。笑)


文芸、ノンフィクション系の校閲において「限られた時間で、最大のパフォーマンスを発揮するには?」ということをよく考えるのですが、私の中では一定の答えが出ていて、その一つは「調べ物で深みにハマらない」ということです。以前に書いたことと少し重複しますが。

調べ物に夢中になるあまり、他に拾わなければならない重要な誤植をスルーしてしまう、ということは本当によくあります。年号を派手に間違うとか。

では、どうすれば調べ物の深み(沼)にハマらないか。つまり、どこで線引きをするか。これは色々な経験をしながら会得していくしかないと思っていますし、私もまだまだその途上です。

とはいえ、たまには深みにハマる「必要」もあったりします。調べ物の深みにハマらないと出せない、そして出すべき疑問というものもあるはずです。まあ要するにケースバイケースの仕事なんですよね、校正校閲って。


また、この「調べ物」と「時間」あるいは「コスト」という考え方は、特定の現場における文脈だけで語られるべきものではなくて、どんな媒体でも考えていかなければならないトピックであるはずです。校閲はボランティアではないのですから。


たとえば、書籍の校閲において、同じゲラを校閲している人が社内に自分ひとりしかいない状況では、調べ物のノウハウや、勘所というものは共有されにくく、できあがった初校校正ゲラの鉛筆をみても、一生懸命時間をかけて調べた痕跡が残っていないことだってあるわけです(ゲラの記述が合っていた場合など)。しかも、編集者も著者も、そこまでの深さを求めていないケースだってある。(読者、という視点からはまた別の議論が必要になりますが)

ましてや、フィクションにおいては尚更です。歴史小説において、「あえてそこは史実と違うふうに書いてます」なんてゲラ内に明記してくれているわけもないので、そこは本当に難しいところですが…。


誰もが「間違いだ」と言える間違いというのは意外と限られているものなのかもしれません。


…ああ、長くなりすぎました。まだまだ書けますが、この辺にしておきます。


では、寒さにお気をつけてお過ごしください。

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