進行係という仕組みについて。
【注:この記事は、アメブロへ2023年7月28日に投稿した記事を、筆者本人が内容を変えずに移植したものです。】
皆様こんばんは。
暑い日が続きますねー。毎日ほとんど変わらないので自分がいま何曜日を生きているのか分からなくなってしまうくらいです。雨が恋しいですね。
さて、週刊誌勤務も1年以上経過し、夏休みも近づいてまいりましたが、今日はほとんどの方が興味のない?校閲の話を。(ちなみにこのブログのアクセス数の大半は空気階段ネタです。。。)
たまたま縁があれば同じ会社の社員の方にも読んでほしい話ではあります。
私の所属する会社は、校閲部の中に「進行係」というポジションの人間が数名おり、たとえば単行本、たとえば文庫、たとえば週刊誌、、、というように、個別のセクションの校閲作業におけるスケジュールを仕切っています。
ここで特筆すべきなのが、校閲部の進行係が仕切っているのが「校閲作業におけるスケジュール」だけではない、ということです。これは実は、他の出版社にはみられない、この会社の大きな(隠れた、でも意外と社内の人たちも知らない)特徴だったりします。しかも、割と若手が進行係を経験することも多いというのも特徴です。
(あ、私がどこの社員かは適当に調べてください。。。)
他の出版社で「校閲部」がある会社は、基本的には編集部の提示したスケジュール通りに校閲作業をします。納期が不条理なものだったとしても、編集側の論理が優先されます。
しかし、私の所属する会社(面倒なのでA社とします)は、校閲部に重きを置いてくださっているところがあるので、校閲部の都合も大いに反映してくださいます。というか、編集部側において、編集者においてはスケジュール感覚が皆無の方も多々いらっしゃいまして、校閲部(の、おもに進行係)がせっせと入稿から本の刊行までの日程、スケジュールを立てるという慣行があるのです。
これは業界内でもかなり特異で、私の取材の限りではA社のみの慣行です。もちろんスケジュールを綿密に立ててくださる編集者の方もいらっしゃいますが、正直少数です。。(それはA社のシステム上の問題だったりもしますが、後述します)
で、この慣行のメリットとしては、校閲がちゃんと力を出せる、また、校閲部の人間は真面目な人が多いので(逆に多方面に失礼)、ちゃんとした計画を立てられて、ちゃんとしたものが生産できる、というのがあります。デメリットとしては、「突貫工事」的な、急いででも出したい作品、みたいなのがなかなか作りにくい、といったところです。
で、校閲部の進行係というのは、当然、進行係(=スケジュール管理係)なんて仕事をやりたいと思って入社しているわけではないので、進行係というのは「鬼門」というか、多くの部員にとってはあんまりやりたくない仕事だったりします。雑誌の進行係の場合、雑誌特有のチーム感、連帯感のようなものがありますからまだ孤独感はないのですが、単行本や新書、文庫の進行係というのは本当に孤独で、下っ端なのに管理職的なマネジメント業ばかりだし、お金に関する決裁も多いし、20.30代なのに60代の面倒な(失礼)編集者を相手にスケジュールの交渉等をしないとならないし、とかまあ大変なのです。雑誌の進行係ももちろんかなり大変ですが。。
私は既に、雑誌で6年、単行本と新書で2年、計8年進行係をやってますが、実際には後者の2年のほうがきつかったですね。雑誌の場合は、校了したら文句なしに終わりで、振り返る必要もありませんが、本はなんとなくダラダラとやることが色々あるんですよね。。。あと休みの日もいろんな方面から連絡来ますし。雑誌の方が休みは完全に休みなのですっきりという面はあります。自己都合では休みにくいのがアレですが。
さらに、(大事なことを書き忘れていたのですが、)書籍の進行係で大変なのは、誰にどの本を校閲してもらうかを決めなければならないことです。
これは、全体の進行状況を一番よく把握しているのは進行係で、細かいことは部長もデスクも把握していないため、進行係が担当を割り振らなければならないのですが、とても大変。若人の進行係には、どの校閲者がどのジャンルに向いているか、社内・社外どちらの校閲者についても人選するというのはなかなか胃の痛くなる業務です。本一冊の初校をお願いするだけで数週間かかりますから、おいそれと逆戻りすることもできず、全体の進行状況を見ながら、解けないジグソーパズルをひたすら解こうとする毎日、みたいな感じです(この業務については、やはりもう少しベテランの方がやった方がいいと思いますよね)。
まあ、そんなこんなで、校閲部の進行係というのは、なかなかの重責なわけです。
それでまだ、スケジュール管理とか人選とか、そんなのだけなら良いとしても、私は人があまりにいなかったりした時は自分で校閲もしまくってましたし、それは半分は自分でやりたいと思った本だから、というのも多少はあるのですが(そうじゃない本も多い。。。泣)、当然、業務としては圧迫されます。でも、その「圧迫」が、他の進行係ではない校閲部のメンバーに、なぜか伝わりにくいんですよね。
簡単に言うと、「大変そうだね、なんか手伝おうか?」の一言が全然ない、ということなんです。
思わず太字にしてしまいました。先ほど書いた「孤独」というのはまさにこれで、私だけでなく他の進行係も同様の孤独を感じていました。(まあ、自分の担当してる本に集中してる、というのはあるかとは思いますけども、にしても、ですね。もちろん、声をかけてくれるメンバーはいますが、全員ではない。。。)
どう改革するかは色々な議論があると思いますが、まずは、進行係の業務内容は「上の立場の人がやるべき仕事」というものが非常に多いので、進行業務の一部については部長ないしデスクがやる、というのが「普通の会社」としてはあるべき姿かな、と、当時はよく思ってました。事務的な作業は下っ端で良いんですけどね。
でも、まあ普通の会社じゃないしな、とも思ったりもするのですけどね。。
兎角、かいつまんで言うと、「A社の校閲部の進行係は、他の出版社の編集部がやってることの一部を担当している」ということなんです。
スケジュール管理というのは、本来は「本を出す部署」である編集部がやることですからね。
で、なぜA社では校閲部がスケジュール管理してるかというと、簡単に言えば「A社は編集部でなく校閲部が校了してるから」、これに尽きるんですよね。
ここの仕組みが、A社の非常に特殊な仕組みで、でもそれがプラスに働く部分も多かったりして、何とも言えないところでもあるのですが。
まあ、つらつらと書きましたが、校閲部の進行係はなかなかに大変だということ、それは変えていくべきだと私が思っていること、この2つをいちおうここに書いておきます。。。
もちろん、進行係をやらないとわからなかったこと、できなかった経験も多いので、個人的にはとても感謝してるんです、その8年間に。でも、そういう人ばかりではない、というのも事実だし、まあ、管理職がやるべきでしょという業務内容も多かったので。
何か感想があればこっそり教えてください。
ではまた!
追記:お読みいただきありがとうございます。
色々書きましたが、進行係でないと分からなかったこと、経験できなかったこと、そして仲良くなれなかった他部署の方などもたくさんいらっしゃるので、そういう意味では、進行係をやってよかった、と思うこともあります。
ただ、もう一つの問題としては、進行係の人とそうでない人で待遇がまったく変わらない、ということもあるかもしれません。
業務内容としてかなりの重責なので、ここはきちんと差をつけるべきだと思ってますが、まあ、現実には厳しいですかね…。
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