校閲者と「書くこと」の関係性。 その① 〜代案の提示について〜
皆様、こんばんは。
今日は、校閲者と"書く"こと、の関係性について投稿してみたいと思います。(なお、以下は書籍や雑誌といった、私が経験したことのある媒体に関する話であり、世の中の校正校閲すべてに当てはまるケースではないことをご了承ください)
そもそも、世間一般のイメージとしては、「校閲は読む仕事である」というものがあるでしょう。それは世間一般に限らずこの業界内においてもそうだと思いますし、私自身もこの仕事に就くようになるまでは、そして新人の頃はそう考えていました。
しかし、ある程度この仕事を続けていると、実際の現場では(今私が所属している媒体は特に、なのですが)、"これは「読む」というより「書く」仕事ではないのか?" と感じるような作業も多いな、と徐々に実感する、と言いますか…。
……これだけでは誤解を招きかねませんので、もう少し丁寧に説明します。
「書く」仕事、といっても、校閲者が作家さんやライターさんのようにゼロイチで文章を構築していくわけではもちろんありませんし、"書き直す"(リライト)という意味とも違います。もしかしたらリライトが業務内に入っているような校正者・校閲者の方も世の中にはいらっしゃるかもしれませんが、今ここでしたいのはそういったリライトの類の話ではありません。
では、校閲者における、リライトでもない「書く」仕事とは?
大きく2つに分けられると私は考えています。
①適切な代案を考えて、ゲラ上にそれを適切な形で表現すること。
②ある程度の説明がないと校閲疑問の意図が著者に伝わらないと判断した際に、簡潔に、そして明瞭に疑問の説明をすること。
以下、書いていると長くなったので、この記事では①の話のみにとどめます。
代案を立てる。これは、じつは校閲者がゲラ上で日常的に行なっていることです。
たとえば、ここではものすごく簡単な例にしておきますが、
南米産のコーヒーはすべて酸味が強い。
という一文があったとします。
まずこの文ですぐ気になるのは、本当に「すべて」なのかどうか、というところですよね。ファクトチェックの結果、「南米産は酸味が強い傾向にある」ということがわかったとしても「すべて」ということはまずなさそうですから、「すべて」をトルとし、「酸味が強い」のあとに「ものが多い」などを入れる方向で疑問を出すのはどうか(『南米産のコーヒーは酸味が強いものが多い。』とする)などと考えていきます。
ここで、「ものが多い」というのはあくまで一案ですよね(絶対にそう直さなければならないものではありません)。「酸味が強い傾向にある」でも良いし、「酸味が強いと言われる」とかでも良いかもしれません。ですから、校閲者はゲラに「ものが多い?」と書くのではなく、「ものが多い ナド?」とか「ものが多い トカ?」と書いたりするのです。これがいわゆる「代案」です(ちなみに弊社校閲部では、「トカ?」とゲラ上に書くことは推奨されていません。はっきりした理由はわかりませんが、タメ口のように感じられるため、失礼に取られる可能性もあって忌避されているのでしょう)。
ここで、校閲疑問として出すフレーズを「ものが多い」にするのか、「傾向がある」なのか「と言われる」なのか、ということについてですが、例えば前後の文章に「傾向」や「多い」という言葉が入っていた場合は重複してしまうので、なるべくそうでないものを代案として出したりします。また、著者の文体や、媒体によって、ある種"感覚的に"よりよい代案を選択したりもしているのです。これは完全にセンスの世界でしょう。(私にそれが備わっているのかは怪しいですが…。)
場合によっては「ナド?」も入れずに代案だけ書いたり、「or」をつけたり「念のため」とか書いたりして修正の重要度を上げ下げしたりもします(このあたり、どのくらい先方に伝わっているかは別として、実はものすごく繊細な作業なのです)。
他の例として、同じ接続詞(や語尾など)が続くので2個めをこちらに変えてはどうか、とか、文章の叙述が分かりにくいと感じた時に主語と述語を近づけたり、補足する語句を追加したり、などの要素も疑問として出すことはありえます。
ただし、今ここで言及した、"接続詞や語尾、叙述に関する校閲疑問"は、たとえば私が現在所属している雑誌において、「短い文章でわかりやすく事実を伝える」必要性が生じている、などの理由で出している場合もしばしばで、他の媒体ではそもそも同じような疑問を出さないこともあります。特に、小説においては"語尾の重複"のような疑問を出すことに対しては慎重になるべきでしょう。別に「〜だ。〜だ。〜だ。」と連続していたって本来、なんの問題もないわけですから。むしろ意図的かもしれませんし。
ただ、そういった小説の校閲においても、例えば不用意と捉えられそうな(フィクションだとしてもどうか、というような)地の文における差別表現だとか、事実に基づいている記述の中で書き方に誤解を招く要素があったり、といった場合に、同じように代案を提起することはあります。他にも、ノンフィクションやその他のジャンルにおいて、リーダビリティを重視するような場面ではこうした疑問を出すことがあるわけです。
そして逆に、「代案を明示しない校閲疑問」ばかりだとものすごく分かりにくい校閲ゲラになってしまう、と私は考えています。
例えば、「念のためですが、〇〇は△△であるとする説もあります。ママでよろしいでしょうか?」というような書き方による校閲疑問ですが、この書き方では本当にママになる確率がやや高くなる気がします(言い換えれば、疑問として弱いということかもしれません)。先ほどの例だと、代案を何も出さずに「南米産は必ずしも酸味が強いわけではありませんがママ?」などとだけ書くのは微妙だと思います。なんだか居丈高な感じですし、(まあこのコーヒーの例は簡単な文章なので、分からないということはいずれにしろないと思いますが、込み入った文章の場合には)じゃあどうするの、という具体例があったほうがやっぱり分かりやすいですよね。
とはいえ、校閲者は"硬軟織り交ぜて"色々な疑問の出し方を状況に応じて調整していくものなので、どんな疑問の出し方も一概に「絶対ダメ」とは言えないのですが、"ここは正直、表現を変えた方が…"と感じる時に、「よろしいですか?」「ママでOK?」のような書き方ばかりをゲラ上で頻出させてしまうと、"そもそも、校閲がどういった直しを意図しているのかがよくわからない"といったことになり、校閲がボトルネックになってしまう可能性があるわけです。
ここで、さらに良くないのは、上記のような分かりにくい疑問の出し方をもとに著者が修正を入れてくださったのに、"もっと違う方向に"進んでしまう、という悲劇がありえる、ということです。私自身も新人の頃から、本当に申し訳ないのですがこうしたことを何度も経験してきましたし、(誰もそれは望んでいないのですが)どんな現場でも散見されることかもしれません。”元のままのほうがよかった"というやつです。編集側にも、別の視点での疑問の出し方(編集的な疑問の出し方)について同じことが言えるかもしれませんが、ともあれ校閲者としてはなるべく、頭をめいっぱい使って代案を色々考えて、限られた時間の中で最も適切と感じたものをゲラ上に記していくべきなのです。
このあたりの感覚を私はよく、"ベストを尽くす"と頭の中で表現します。著者の方はお忙しいので、原則として、訳の分からない疑問の出し方は厳に慎むべきだし(そもそも誰の文章なのか? ということ)、何より二度手間は無駄な時間的・人的コストを発生させるので、分かりにくい校閲疑問によりコストを増大させない。この二つを私は常に念頭に置いて作業しています。自分がこのゲラを著者として受け取ったらどう感じるか? という目線といいますか。(別の話題ですが、字の丁寧さとかも関わってくる気はしますね。いや私自身のことは棚に上げて…)
ここまでだらだら書いてしまいましたが、最後に一つ、もっと大事なこと、そしてあまり言及されてこなかった気がすることを以下に記しておきます。
仕事をしていると、短めの文章の場合などは特に、著者校正において意外と「校閲の提案通りに直してください」というお返事になることが多かったりするのです。
もちろん、"ほぼ"校閲の提案通りで、一部は別の直し方だったり、もちろん校閲疑問とは関係のないご修正があったりもしますが、おおむね「代案」通りに直すことになるケースが意外と多いというのが実際のところです。
逆に言うと、校閲者は「代案」のセンスがものすごく問われている、ということなのです。
その理由としては、有難いことに作家さんや編集者が校閲を信頼してくださっている場合もあるでしょうし、具体例はここでは控えますが色々なケースが現場では出てくるものでして…。
いずれにしろ「校閲者の代案センス」が事実上、文章そのもののデキに直結してしまう場合も結構ある。この点についてはもう少し校閲者も(私も)自覚的になっていかなくてはならないでしょう。
以上をまとめると、"代案を出す"という作業は、文章表現のバリエーションを校閲者自身がどのくらい持っていて、そしてそれをどのくらい使いこなせているかという技術にほかならないわけですから、これすなわち"書く"仕事にかなり近い、ということになる(なる、というか、なってしまう)わけです。
当たり前のことですが、校閲者は本文を書いてはいませんし、書いてはいけません。そもそも"書きたい"わけでもありません。しかし"書かなければこちらの意図が適切に伝わらない可能性がある"からこそ、代案という形で”書いて”いるのです。この辺の感じは、次の②のほうがわかりやすいかもしれません。
というわけで、①は終わりです。②は別の記事としてまた後日まとめます。
長文をお読みいただき、ありがとうございます。
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