第31回 部活動の実際
建前
指導のねらい
部活動の意義を理解し、その運営や指導の在り方を理解する。また、より適切で効果的な指導方法について学ぶとともに、生徒・保護者とのコミュニケーションを充実させる工夫について知る。
指導内容
・部活動の意義
・部活動の運営と指導の在り方
・指導者と生徒の信頼関係づくり
・保護者等への目標、計画等の説明と理解
・事故防止、安全確保、事故対応等
本音
Goくん
「部活動の意義は何か。」と問われると言葉にするのが難しい。プレイヤーのときは野球がとにかく好きで上手くなりたい一心で取り組んでいたからである。しかし、教員として指導者としてその意義を避けては通れない。
学んだことは何かと振り返ると、明らかに成功よりも失敗の方が多いことに気づいた。それも毎日が失敗だらけである。毎日自分のために練習したからこそ反省し、次に生かそうとしていたのだと思う。前に進んでいるのかもわからず、試行錯誤したからこそ得たものがあった。結果(目標)の大きさは個人やチームで違っていい。それを達成するための取り組みを指導者も選手も常に考えなければならない。
これまでの部活動はプレイヤーとして指導者を観ていたが、これからは指導者としてプレイヤーを観ることになる。家族や担任よりも生徒と関わる時間は多く、与える影響は大きい。生徒が部活から何を得られるのか常に問いかけながら取り組んでいきたい。
Sinちゃん
私は部活動肯定派として,最近の世間の部活動への風当たりはとても悲しい。働き方改革の波を受け,部活動に対して否定的な論調が増えてきた。部活動はこの時代にふさわしくないものなのだろうか。いや,この時代に必要なものが部活動ではないかと私は考えるのである。
近年,教育改革の標語のもとに,授業改善,高大接続改革,学習指導要領の改訂が行われている。教育に求められているものは何なのだろうか。数学者藤原正彦は著書「祖国とは国語(平成18 年)」で次のように述べている。
現代は我慢力を培うのが難しい時代である。我が国には真の貧困が,有史以来四十年ほど前まで存在した。真の貧困とは,いくら働いても食べて行けない,という意味である。そのような社会において,子供たちは,おやつが欲しくても,時には御飯が欲しくても,我慢を強いられる。そのうえ,両親は家族を生かせるために必死だから,子供にも相応の仕事が割り当てられる。
~中略~
豊かな時代だからこそ,親や教師は,我慢力養成のために子供に厳しく当たらねばならぬのに,今や子供と友達関係になり果て,甘やかし放題である。
私の彼の意見に賛同したい。学習には我慢あるいは忍耐は必要である。生きていくために必要な力である。ある意味数学も「忍耐」を学ぶ側面もあるかもしれないが,数学で忍耐力を身につけたと胸を張る人は少ないだろう。では,我慢をどこで学ぶのか。それは,部活動が担う 1 つの役割ではないだろうか。
部活動には,多くの学びがある。命に関わらない失敗がたくさん経験できる場である。勝つために,考える場でもある。自分の役割を果たす場である。これほど教育効果の高い部活動をやめさせる大義はどこにもない。
部活動の運営への批判は理解できる。部活動による長時間の拘束のため,学習時間の減少,睡眠時間の減少,家族で過ごす時間の減少は良くない。それは,部活動が悪いのではなく,部活動の運営方法が悪いのである。(教育委員会の言いなりではなく)部活動の実態にあった適切な休養日の設定,生徒・保護者の信頼関係の構築により,学びの多い部活動を実現できるのである。
本校には,生徒が自主的に部活動を運営するという大きな枠組みがある。その中で,活動することが求められている。部活動で本校の生徒が何を学ぶのかという視点を大切に,安全に配慮し,部活動を運営していきたい。
私から
教育活動全般を見渡した時、もっとも議論が白熱するテーマのひとつが部活動でしょう。高校教諭には人生をかけて部活動指導に打ち込む人がいる一方、「勝利至上主義」に嫌悪感を持つ部活動否定派や、その負担感の大きさから部活動反対派に回った人もいます。だからこそ、すべての教員が部活動の在り方について語れるのだろうと思います。現勤務校では部活動を担当していない年輩の先生方も、過去には相応に部活動を担当し、その指導に一喜一憂した経験があるはずです。
なお、私自身はと言えば、教員志望のきっかけに部活動は一欠片もありませんでした。また、君たちと違って高校時代の私は実質帰宅部でした。だからなおさら、私だけが君たちに部活動の何たるかを伝えてはならないと思います。ぜひ炉辺や酒席等を利用して、いろいろな先生方から昔話を聞いてほしいです。
さて、それでも私自身の振り返りも狙って、私の部活動指導観を簡単にまとめてみましょう。教科指導、クラス経営、生徒会指導、進路指導、特別支援、教育相談等々、さまざまな教育活動を実践してみて感じるのは、部活動のキャリア教育との親和性・連携性です。
身も蓋もない言い方をしてしまえば、15年かけてつくられてきた人格をたった3年間の高校生活で変えることは原則不可能だと思います。たとえばクラス経営はSHR5分×2、LHR等の50分しかありません。そこに物理的限界がある。ただ唯一、不可能を可能に変えるチャンスがあるとすれば(ひとまず新しい指針を無視すれば)、毎日3~4時間、土日は4~8時間、合宿をすれば1週間程度寝食を共にできる部活動しかないのではないか、部活動は、生徒の人生そのもの、三つ子の魂までアクションを起こせる可能性、広義のキャリア教育に繋げられる教育活動なのではないか、そう考えるきっかけに何度か出会いました。
特に指導困難校においては、部活動の存在が教育活動のすべてと言っても過言ではない生徒が存在しました。また、そのような学校には、家庭の教育力が欠落していると言わざるを得ない生徒が少なからず入学します。人生を賭けて、部活動をツールに人を育てることができる教員には、彼らをよりよい人生に導ける可能性がある、そういう場面に何度か出くわしました。加えれば、そのような学校の場合、指導力の高い部活動顧問が数人いるだけで学校そのものの雰囲気がガラッと変わることもあります。それを目の当たりにした経験があれば、安易に部活動否定派に立つことはできません。
次に、部活動指導にどのような教育効果があるのか、思い浮かぶ限り羅列してみます。学校の役目が「生徒に失敗させる場所」「トライ&エラー&リカバリーの方法を知る場所」であると考えれば、部活動は、他のどのような教育活動よりも失敗を数多く経験させることができる重要な教育の場になります。
それから、特に運動部やコンテストのある文化部であれば、「勝利」を大義に、多様な生徒が一つの目標に向かって行動を共にすることができる教育活動の場でもあります。
また、「引退」の時期が決まっていることから、顧問が意図せずとも彼ら自身がリミットを明確に意識し、目標を成し遂げようと試行錯誤することができる教育活動の場とも言えます。
加えて、異年齢集団での活動が前提となることから、後輩には先輩との関係を学ばせることができ、なお実力主義の部活経営をすれば、先輩には後輩と実力が逆転する可能性の内在した人間関係構築能力を育むことができる教育活動の場ともなります。
技術的指導力のない私でも、これらすべて相応に論じられるほどには意識的に部活動指導に取り組んできたつもりです。教員志望の理由に欠片も部活動指導を考えなかった私であっても、です。
初任校がH高校であることのメリットは大きいのですが、デメリットは部活動指導をせざるを得ない学校ではないことだと思っています。その意義や価値を嫌でも体感できる環境にはない。君たちは二人とも、教員志望の理由の中心に部活動指導があるはず。ここの4年間でその灯が消えてしまわないことを祈るのみです。
今、部活動指導は大きな転換期を迎えています。これまで、時代錯誤であろうことを述べた部分もあろうかとは思いますが、最後にひとつ断言したい。目の前に「強くなりたい」「上手になりたい」と打ち込む生徒がいるにも関わらず、そこにアクションを起そうと思えなかったなら、それはもう教育者とは言えないのではないでしょうか。この時代の転換点を「部活動指導はしなくてもいい」と捉えるのではなく、「工夫を凝らして教育効果を上げる」と考えてほしいと思います。
せめて。君たちには、今後ますます希少種になってゆくでしょうが、人生を賭けて部活動指導に取り組むことができる教員が浮かないような、否定されないような(たとえ他の業務が多少疎かであっても)雰囲気を醸成できる余裕を持つ、そういう側の人間であってほしいと願います。