第15回 生徒指導の実践と事例研究Ⅱ-いじめ-
建前
指導のねらい
いじめはどこの学校でも起きる可能性があることに気づき、いじめを見逃さない姿勢をもつとともに、いじめに対して一人で悩んだりせず、組織で取り組んでいくことの大切さを理解する。
指導内容
・いじめの背景
・いじめの態様
・校内組織としてのいじめへの対応
・いじめ発見のための心構え
・インターネット上のいじめ
本音
Goくん
いじめの背景としては、他人を受け入れられない、自分を強く見せたいなどの原因がある。他人を受け入れることができれば、人との付き合いや視野も広がり、充実した日々を送れるのではないだろうか。SNSに書き込む前や話す前に相手がどう思うのかと考える力が必要である。一歩引いた視点で考えると優しさの意味も変わると感じた。
いじめを発見するためには、生徒の少しの変化も見逃すことはできない。廊下での挨拶や授業中の様子など常日頃からチェックし、教員同士で連携を図っていきたい。
Sinちゃん
いじめ防止教室での指導教官(私)の生徒への講義を参観した。いじめは知らず知らずのうちに加害者になっていることもあるし、何気ない一言を受け被害者になることもあり得る。いじめはどこの学校にも起こりうるものだという認識を持ち、生徒の一挙手一投足に注意していきたい。
本校はユニークな生徒で成り立つ落ち着いた学校であるからこそ、「自分以外の存在を受け入れる」ことは本校の生徒にとって、最も大切なことなのかもしれない。次のことばは自分自身が他人の情が分かる人間なのか考えさせられた、深いものであった。
「人として一番大切なことは他人の情、とりわけその悲しみがわかることです。」(岡潔)
他者理解は教育者として求められる資質であり、生徒に寄り添い生徒を成長させられる教師になりたい。
私から
いじめをなくすことはできるでしょうか。私は不可能だと思います。人には差異があって、それを他者がどう捉えるかもまた差異です。差異に対して拒絶反応を示すのはある意味自然なこと。だから、いじめをなくすことは不可能だと考えます。
教育の役割とは何か。第一義には社会性を育むことが挙げられるでしょう。大切なのは、いじめをなくすことではなく、いじめのない集団=社会をつくる、つくろうとすること、つくれるようにすること、それが私たちの役割だと思うのです。いじめのない社会、例えば狭義に自分のクラスや部活を設定すれば、在籍する生徒すべてが他者との差異を個性、キャラクターと捉えることができたら、それはいじめのない社会になり得ると考えています。高校における狭義の社会に、彼らそれぞれが主体者として関わり、多様性を積極的に受容する姿勢を養ってくれたら、いじめのない理想の社会が近づいてくるのではないでしょうか。
この学校に勤務し、特に入学から卒業までひとつの年次に関わったことで、ひとつの仮説が強固に補強されました。それは「いじめが悪質化するのは中間層に原因がある」ということです。この学校は、遡ればいじめた側といじめられた側の両者が集まる傾向があります。いわゆる中間層は少数派です。振り返れば、彼らが入学した当初は、恐れていた通りに「からかい」「陰口」等があって、いじめ案件の対応に追われました。しかし卒業を迎えるころになると、その両者が仲良く会話し、一緒に遊ぶように変容していきました。さまざまな要因はあるのでしょうが、「からかい」「陰口」を囃す層、そしてそれ以上に見て見ぬ振りをする層が、いじめの悪質化を助長するのではないでしょうか。
マイノリティーがマジョリティーとなる学校が存在したおかげで、これを検証することができたと考えれば、私にとって大切な勤務歴になりました。となると次に考えるのは、中間層が多く在籍する全日制普通科高校では、ミクロの視点でいじめ対応するよりも、マクロの視点で中間層にスポットを当てた意図的な指導に重点を置くことによって、いじめのない社会の構築に貢献できるのではないかということです。
いじめのない社会、いじめを悪質化させない学校集団、学級集団、部活集団づくりとは何か、考えてみてください。