マドンナに学ぶ「ファッション戦略」
「ヒットの法則」シリーズ
今回はマドンナに学ぶ「ファッション戦略」
今でこそ大御所なマドンナも最初は無名。
では、彼女はどうやったトップに上り詰めたのか。
楽曲の要素ももちろんありますが、
今回はファッションに注目して紹介します。
まず、マドンナがブレイクしたのはシングルの「Like a Virgin(1984 US:1 UK:1)」ですが、それまでのシングルはこんな順位
①Everybody(1982)
②Burning Up(1983)
③Holiday(1983 US:16)
④Lucky Star(1983 US:4)
⑤Borderline(1984 US:10)
⑥Like a Virgin(1984 US:1 UK:1)
というように、2年越しで一気に女性ソロ・アーティストのトップに立つのですが、楽曲はもちろんファッションを含むビジュアルも当時のシーンにインパクトをもたらしました。
日本の人気投票ですが、当時はこんな時代でした。
ビジュアルで見ると、こんな感じです。
左上から時計回りに1位〜
これを見ると、当時は割と「クールな女性」が多かった印象です。
セクシー系では3位のデビー・ハリー(ブロンディー)が70年代のセックス・シンボルとして君臨しましたが、若干陰りが見えてきた時期。
この写真では肌の露出が多いスティーヴィー・ニックス(フリートウッド・マック)ですが、セクシーというよりはどちらかというと「不思議なキュートさ」みたいな立ち位置だったので、あまり大胆な肌の露出がない時代。
図で現すとこんな感じでしょう。
そこにマドンナがセクシー(というかエロ?)のフェロモンをまき散らし参入。 見事ポジションをゲットしました。
そこで強力な武器になったのが「ヘソ出しルック」
③Holiday(1983 US:16)のMVから着用。
そして、更に露骨になったのが④Lucky Star(1983 US:4)。
今でこそ、へそ出しくらい話題にもなりませんでしたが、80年代序盤においては「ハレンチ」、「男に媚びを売っている」と賛否両論でした。
しかも、魅せ方がまた露骨。
当時中学2年生だった自分にとって「堂々と見られる金髪エロ」という
隠れ欲求(インサイトと呼ばれるもの)をグイグイ刺激してくれました。
表情もこんな感じで、下唇を噛んだり、
どんだけ男を挑発するんだと。
その「へそ出しルック」はどれだけ影響を与えたかというと、
日本でも本田美奈子さんが影響されていましたね。
黒と十字架までも真似したり。
こちらも当時としては、かなり攻めた露出でした。
マドンナのヒットの要因は他にもたくさんありますが、
このファッションの路線も大きく影響していることは間違いありません。
そして絶妙なのが、「賛否」を巻き起こすところでしょう。
そしてセクシーの称号を得たマドンナは次の「⑥Like a Virgin(1984 US:1 UK:1)」で更なるブレイクを果たすのでした。
天下を獲ったマドンナのこと。
恐らく様々な戦略はあったことでしょう。
いずれにしても、時代を読み攻めたアクションは今考えても学ぶことができるのではないでしょうか。
このような戦略を書いたのがこの「ヒットの法則」です。