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自分の五感で体験できる豊かさ。

伏見稲荷に行く。千本鳥居を見るために。
京都は流石に外国人観光客が多い。しかも多様。素晴らしい。

神社に着いて本殿に参拝し、その奥にある千本鳥居へ。
そこにあるのはどこかで見た写真の通り、ドミノのように敷き詰められた朱色の鳥居だ。朱色って、ここか習字教室くらいしかお目にかかれない。
これは外国人は喜ぶなあ、、、

なんて思っていたのが甘かった。

この千本鳥居は、稲荷山の山頂に続く山道の一号目でしかないのだ。
山頂までの道すがら、朱色の鳥居は満遍なく登山道を彩っているが、やがてそれを楽しむ余裕もなくなる。結構なハイキングだ。軽い参拝のつもりできた多くの外国人が汗だくになって「あれ?何しにきたんだっけ?」と自問するのだろう。

ともあれ、他人の編集によって僕の中にあった千本鳥居と、僕が山頂まで登りきった参道の入り口にあった千本鳥居とが、今や全く違う。いや正確には、完全に書き換えられてしまった。まだ伏見稲荷にきた事ない方、実際のそれと想像のそれは大きく違うでしょう。まあとにかく、ハイヒールでは来ないでください。

他人の編集と自分の体験と、どちらだって良いんだけど、両者がとても違う。
自分で体験できることは限られているので他者の本を読んだりするのだけれど、それは実際体験して私自身が感じることと異なる。
としたら、やはり自分で限られた時間を利用してなるべく体験したいと思う。
VRによる仮装旅行体験は大いに期待しているが、やはり情報量は生の体験と遠く及ばないのではないか。
僕らは五感で情報を得る。屋台の肉の焼ける匂い、照りつける日差し、登山によるふくらはぎの疲労、大量の外国人と修学旅行生の入り混じるカオス、ふと見知らぬ他者と目が合い笑顔を交わすこと。あまりにもあまりにも、旅としての実体験の情報の形式は取り替え不可能のように思える。

人生の時間が限られているし、終わりもいつか分からない。
と言うことは、現在の一分一秒が本当に貴重で、自分の幸せに寄与する体験の積み重ねのみを選択して体験して行きたいと思う。

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