話せているイメージ
自分は研究者でもないから、エビデンスも自分の経験だけだし、そんな情報に意味があるのか。右から左に聞き流してほしい、そんな感じで文章を書き始める。
自分は日本語をしゃべる時と英語をしゃべる時の性格が違う。自分もそう思うし周りからもそういわれる。日本語だとあんまり積極的に話さないし、感情も表に出さない傾向が強い。でも英語の時はいちいちリアクションを付ける。Ah~とかOh~とか言う。それが面白くて、英語学習を続けてきたといっても嘘ではない。
たぶん小さいころに海外のテレビや映画を見て、英語話者の話しているイメージが自分の脳のどこかにあったのだと思う。英語を話せる前から、英語を話せているイメージが頭にあった。感情を表に出しやすいのは英語にそういうセリフがあって、日本語には無いからだ、という人がいるけど、日本語にもそういう言葉はあるわけで。結局、日本語をそういう風に使っているイメージ、運用例が自分の身の回りに少なかったということなんだろう。
話せているイメージ。これが先にあって、話せる自分が後から追いついてくる気がしてならない。
コーチングの本を読んでいると、まず最初にさせることは、ゴールを達成している自分を具体的に描かせることだそうだ。僕の英語学習の経験と当てはまる。英語が話せるようになる前に、英語が話せているイメージを持つ。これがポイントなんだろうと思っている。
さて、いま中国語を学習している。中国語についてはこのイメージを作ることに苦心している。動画や映画を利用したいのだが、英語と比較してあまり材料がない。それでも動画サイトやマッチングアプリなのを使えば中国語世界を垣間見ることは可能だろうと思っている。少し前だったら実際に留学しないと分からなかったであろう「中国語を話せているイメージ」を、今は日本の片田舎でもできるのではないかと実験中だ。