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さきがけ塾講師

九月十四日、NPO法人維新の魁・天誅組主催のさきがけ塾の講師をさせていただきました。

まだまだ暑い中、四十名を越える方々にお集まりいただき、

『「大和日記」の変遷と「謎の男」西田仁兵衛の行方』

と題したお話をさせていただきました。

本当にありがとうございました。

これまで調べてきたことなど、天誅組についていろいろ語らせていただきました。

とても楽しい時間でした。

時間が余ってしまうことが不安で、かなりの分量をレジメ・スライドともに用意していたのですが、むしろ時間が足りなくなって、最後はかなり端折ってしまったことが少し残念でした。

時間配分の難しさを、あらためて思い知りました。

主な内容は以下の通りです。

●自己紹介

●西田仁兵衛は謎の男と言われてる。どこが謎なのか。東吉野村で死んだといわれ墓標もあるのに、天誅組三十三回忌の祭文に生存者として名前があることなど。

●天誅組の正史、大和日記には西田は二か所登場する。しかし、大和日記には異本がさまざまあり、西田の名前や登場か所もさまざである。一方、もうひとつの正史『南山踏雲録』には西田は登場しない。

●大和日記には大きく分けて5バージョンあり、それぞれ違いがある。例えば天誅組とかかれたり、天忠組とかかれたり。その主要な違いについて説明。

●西田を追ううちに天誅組と新選組の表裏の関係が気になる。会津藩庁記録からその関係について説明。

●天誅組と新選組の関係から、西田についての仮説を検討。浪士組⇒壬生浪士組⇒新徴組⇒脱退し京に現れる神代仁之助が気になる。

●上記の考察から書いた「天誅組外伝~江戸から来た男」概略。

●明治期に西田が生きていた記録を発見。西田を巡る冒険は続く。

という流れだったのですが、全体で90分のうち、大和日記の異本の説明が終わるとすでに60分程度経過しており、最後はあまり資料をきっちり説明することが出来なくなってしまいました。申し訳なかったと思います。

大和日記については、プロジェクターを使用して、スライドを多数用意し、大和日記の異本を、ひとつづつ、書体や記載ぶりを見ていただきました。

いずれもHPに出ているものです。また、内容は「天誅組討幕考~その他の史論」などの本に記載していることも多かったのですが、資料を比較しながら、どこが違うのかを、実証的にみていただけたのではないかと思います。

後半、西田の新発見の部分については、時間が足りなくなり、用意していた資料をお見せしながら説明することができなかったことが残念でした。

再度、このような機会をいただけた際は、このあたりを修正したいと考えています。

大和日記の異本の比較検討の部分は、天誅組に興味がある方であれば十分に楽しんでもらえる内容なのではと思って思っています。

講演後、たくさんの方々と交流もさせていただきました。

特に、大阪府八尾市のOさんという方から、天誅組市川精一郎すなわち三枝蓊の資料をいただきました。読み始めたところですが、現地取材をはじめ詳細な資料で驚嘆しております。

今後も、あらためて天誅組のためになにができるのか考えていきたいと思っております。

NPO法人維新の魁・天誅組の皆さん、お集まりいただいた皆さん、本当にありがとうございました。


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