天誅組 大和日記を巡る冒険
(本稿は、インスタグラムで2023年6月25日から7月14日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。)
大和日記(大和戦争日記)は、天誅組が壊滅した直後に書かれた天誅組の始末記です。
天誅組幹部 、久留米出身の半田門吉が長州へ脱出する途上、船の上で書いたと伝えられています。
その時、船上には、天誅組を逃れた以下の七名がいました。
中山 忠光 公家 主将
上田 宗児 土佐 槍一番組長
伊吹 周吉(石田 英吉) 土佐 伍長
嶋 浪間 土佐 砲一番組
半田 門吉 久留米 砲一番組長
山口松蔵(半田門吉家来)
万吉(安積五郎家来)
十津川郷を逃れ、北山郷をへて北上した天誅組。
奈良県東吉野郡の鷲家口で最後の戦闘が行われ、壊滅。
主将中山忠光を含む八名は脱出し、大阪の長州藩邸に駆け込みました。
長州藩はその日のうちに彼らを船で国元に送りました。
鷲家口の戦闘に参加した四十名程度の天誅組。
他の者はほとんど、戦死したか捕縛されました。
命からがら死地を脱出した興奮も冷めやらぬ間に、大和日記は書かれたのです。
河内長野市ホームページには半田本人が書いたといわれている大和日記が掲載されていますが、ほかにも異本がいくつかあります。
以下にまとめてみます。
①大和日記(タイトルには大和日記大略とあります) 河内長野市ホームページ
半田門吉自筆本とされているもの
②大和日記 石田英吉蔵 国会図書館デジタルコレクション
天誅組を逃れ、明治後も生き残った石田英吉が所蔵していたもの
③大和日記 松下村塾版 早稲田大学図書館
明治元年、松下村塾が出版したもの
④大和戦争日記 野史臺版 国会図書館デジタルコレクション
野史臺(やしだい)が明治二十年代に出版したもの
⑤大和日記 土方久元編集 国会図書館蔵デジタルコレクション
明治ニ十九年土方久元編集出版
いずれも、インターネットで全文にアクセスが可能です。
思い立って、それぞれの比較を行ってみました。
前に西田仁兵衛の足跡を追いかけた際、異本ごとに記載事項が微妙に違うことに気がついていました。今回、なるべく全文に目を通して違いを探してみました。
結果は以下の資料にまとめています。
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