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タイでイスラム教の手ほどきを受けた話
「その12匹の動物のなにがすごいの?」
「すごいんだよ!干支がこのタイにもいたんだよ!」
僕はタイで知り合ったモロッコ人のアブーとチェンマイのカフェにいた。
干支は古代中国の甲骨文字に起源を持つアジア一帯とロシアにまで広がった概念だ。
しかしまだこの頃の僕はそのことを知らず、タイで干支のデザインがあったことに興奮していた。単純に自分たち以外の民族が使っている事実に触れることができたことが嬉しかった。
ただアブーには僕が言ってることもこの興奮も全然伝わらなかった。
「アニメで言うとね。ナルトにもちょっと出てくるよ。」
「そうなの!どこに?」
彼はアニメにはすごく食いついてくれるモロッコ人だった。
僕らはバンコクのホステルで出会った。
「日本人ですか?」
片言の日本語で隣のベッドで寝ていたアラブっぽい奴が話しかけてきた。
それが彼だった。
日本のアニメが好きでアニメを見るうちに少しだけ日本語を覚えたとのことだ。
「ねぇマサシ。好きなアニメのロボットなに?」
「えぇっ!?」
何を聞いてくるんだこのモロッコ人。
どうせガンダムって話だろうからと意地悪して僕は少しマニアックに答えた。
「んーんマクロスのYF−19かな。」
「あぁマクロスなら知ってる。」
知ってるのかよ!モロッコ人!と思って彼から返ってきたのは。
「俺はアルドノアだな」
もっとマニアックな答えだった。
「なんだこのモロッコ人。マニアックすぎるだろ。日本人でも知らんわ。」
何よりそんなにいろんなアニメが外国で見れるのかと驚いた。
僕らはお互いのおすすめのアニメの話や漫画の話をしながらよく飯を食いに出るようになった。
「何者なんだこのモロッコ人?」
実は彼は旅人ではなく語学留学のためにタイにやってきた留学生だった。
「俺は世界の七つの言葉を使えるようになるんだ!」
彼はモロッコ人なのでまずアラビア語ができ、英語ができ、隣国スペイン語ができ、フランス語ができ、次にタイ語を学ぶためにタイにやってきたのだ。
「あとなにを覚えるの?」
「次は中国語で最後に日本語さ」
「あと二回も留学するの?!」
彼はチェンマイの大学に語学留学するためにやってきたのだ。
「本当に何者なんだこのモロッコ人?」
バンコクでの彼は昼間は学校に通う準備でいろいろ出かけて夜になると僕を飯に誘って、日本語の話や日本のことを聞いてくる。
そしてそれぞれ別行動しながらバンコクを満喫し、二日違いでチャンマイに入った。
学校の終わった午後にこうしてカフェに集まったり、夕飯に出かけることを続けていた。
「印って。ほら。手でこうやってるじゃん」
僕は適当に胸の前で指を組み替える。
「おぉぉぉぉぉぉぉ見たことある!」
「でもなんで動物なの?」と彼は続ける。
「いや、ごめん。それは僕にもわからない・・・。」
僕には干支と忍術にどんなつながりがあるのか、英語でモロッコ人に干支の概念をどう説明したらいいのか全くわからなかった。
この日も学校帰りの彼と合流して僕はこれまでチェンマイで出会った出来事やお寺で発見したものや日本の文化についての話をこれでもかたと拙い英語と日本語を交えて説明を試みていた。
実はチェンマイに来て一週間経ち明日にはチェンマイを離れる予定だったので最後に2人で飯を食って遊ぼうということで僕はアブーを呼び出していた。
「じゃあそろそろ行こうよ。」
これからチェンマイ名物のウィークエンドマーケットに行く約束だった。
チェンマイの街は昔の城壁に囲まれた旧市街とその外輪に作られた新市街で成り立っていた。このウィークエンドマーケットは週に一回旧市街全域を使って行われるお祭りだ。
「マサシはさ。それだけお寺に行くんだから、毎日お祈りしてるんだろ?」
「いや。たまにだよ。」
「仏教徒って一日何回するの?」
「基本は朝と夜の二回かな・・・・。」
「いいなぁ二回かぁ〜。うちなんて5回だぜ!」
モロッコはイスラム教のスンニ派に属する国なので礼拝は1日5回行う。
【イスラム教の礼拝】
イスラム教では1日数回の礼拝が義務付けれれている。二大宗派のスンニ派は5回一方のシーア派は3回。どちらも礼拝の開始時間には決まりがあり、モスクには必ずそれぞれの開始時間を知らせる文字盤が五つないし三つ付いた時計がある。
なのでモスクに行った時に文字盤の数を数えればどちらの派であるかがわかる。
(ただオマーンなどどちらの派でもない国もある)
特に金曜日の礼拝が重要とされ、金曜日のモスクはよく混む。それはどちらの宗派でも同じだった。
また開始時刻になると「アザーン」という礼拝を知らせる讃歌のようなものがモスクから流れる。イスラム圏を旅しているとアザーンにはよく耳にするがコーランを読んでいると勘違いしてしている人も多い。しかしコーランではなく神とムハンマドを称え、礼拝を呼びかける言葉を唱えている。
イランで聞いたところアザーンを読む仕事に就けることはイスラム教ではとても名誉があることらしい。
(↓中国のイスラム地区で見た礼拝時計。中国なので漢字表記でわかりやすい)
「モロッコはスンニ派だったね。アブーもじゃあ行くんでしょ?」
「いや、たまにしか行かない。」
行かない奴がいることに僕はとても驚いた。
初めて生のアザーンを聞いたのはマレーシアでしかも金曜日だった。
「イスラム教徒はみな信仰心が篤くお祈りを決して欠かさない。」
僕はそう認知していたし、本でしか知らない知識でまだ改訂される前だった。
しかしマレーシアでは華僑系の人たちと過ごしていたので僕にとって彼こそ初めて仲良くなったイスラム教の人だったのだ。
「イスラム教って必ず礼拝に行かなきゃいけないんじゃないの?」
「行く奴もいる。でもよく考えてみろマサシ。みんなが礼拝行ってたら仕事はどうする?」
「確かにそうだ。1日5回はみんなが一斉に同じことをするなんてできない。」
後で知るが、お店なんかだとみんな交代で礼拝している。
「考えられない。1日5回なんて・・・。うちの兄なんて・・・。」
彼がいうにはお兄さんはとても熱心な信者さんで毎日5回の礼拝を欠かさない。
しかも一度モスクに行くと1時間くらいは帰ってこないらしい。
「だから1日5時間はお祈りしている。考えられない。」
「5時間あったらどれだけの仕事ができると思ってるんだ!!!」
彼は誰でも知っているようなある企業のSEだったらしく。タイに来るまではバリバリに働きまくって貯めたお金で留学している。
「でもお兄さんに怒られない?」
「そう!だから省略版をやってる。」
「省略版???」
これは公式情報かはわからないままである。
そんなこと許されていいのかわからない。
この後旅の途中でイスラム学者さんに会うことになるのだが恐ろしくて聞けなかった。
彼がいうには25秒で終わる奴があるらしい・・・。本当かはわからない。彼が作ったものかもしれない。
「仏教にはないの?省略版?」
「いちようあるにはあるよ・・・・。宗派によるけど・・・。」
【お経を短く読む】
遍路旅で他の巡礼者に教えてもらった方法で非公式情報かもしれないが・・・。
遍路旅では般若心経を読む時に全文を読まず、最後の22文字を読むだけで省略して全てを読んだことになるという考え方がある。
ただ遍路旅をローカルルールと捉えることも出来るし、「南無阿弥陀仏」のような「南無系」のお唱えも日本の各宗派それぞれ考え方はあるだろうが、「毎日」「長くて」「回数」を伴うのが絶対である彼らからすると短く感じるかもしれない。
そんなことをいうアブーではあったがお酒だけは飲まなかった。
「そこは守るんだね・・・・・・。」
僕も彼に付き合って夕飯に行ってもお酒は飲まなかった。
この日のマーケットでもお酒を飲まずに食べ歩きをしながら雑貨や工芸品のお店をひやかした。
「これは機械使ったな。」とか「これは手仕事だな」とか
昔とったなんたら・・・。僕は民芸品を手に取っては勝手に鑑定していく。
法衣店というのは塗物や金物、縫い物、木工芸なんでも扱う。そのためいいものを見る機会も多くなり手仕事に対する目も自然と養われていく。
旅に出て気がついたいつの間にか身についていたスキルだ。
「このデザイン日本にもあるな。」「この染料落ちそうだなぁ。」
そんな中で目に止まったものがある。
革製のノートカバーだ。
僕は日本から3冊のノートを持ってきていたのだが1冊にまとめたいと思っていたのでこれは良いものを見つけたと思った。
「おじさん。それいくら?」
「450バーツだよ」
日本円に換算して約1500円ほどだ。
「側面はミシン縫いで糸も悪くなさそう。」「革も本革だと思うな」
「使いやすそうなデザインだし。」
「これだと日本じゃ1500円で買えないな」
ここで納得してしますのがまだ駆け出しの旅人だったように思う。
「よし。いいか。」とお財布を出そうとすると。
「待ったマサシ。」アブーが割って入る。
彼は英語とちょっと知ってたタイ語を駆使して交渉を始める。
「いやー400じゃダメだ。」
「350でどうだ?」
「話にならない。帰るぞ。マサシ」
あぁこれが世に言うバザールの値引き交渉かと僕は感心してその光景を見ている。
一旦帰るフリをするとどこかで聞いた通りの答えが返って来る。
「300だ」
彼も店主も睨み合っている。
「お願いおじさん‼︎」
僕もここだけ日本語で参加してみる。
店主は少し渋っている様子だったが日本語が効いたのか。
「わかった250バーツだ!」
「いいかマサシ?」
「もちろんOKだよ!」
交渉成立だ。
こうして僕はA5サイズのノートカバーを手にした。
(日本から持ってきた自前の情報ノートのカバーになり、外見から魔導書なんて呼ばれるようになる)
「すごいね。アブー。そのまま買うところだったよ。」
「ダメだぞ!そんなんじゃ!モロッコでは買い物は値切るのが当たり前だぞ。」
イスラム教は商人の宗教ともいえる。
預言者ムハンマドは元々は砂漠の商人だったからだ。
実際にコーランの中には商業についての記載がいくつかある。
これは僕ら仏教と大きく違うところだろう。
「モロッコ人なら当然だぞ!」
むしろ値切るのが礼儀だと言わんばかりだ。
実際イスラム圏の商人は交渉能力で相手の器を図ることがあるらしいので改めて考えるとやっぱり彼はイスラム教徒でモロッコ人だと今も思う。