戦場の絆と俺
戦場の絆Ⅱが今年2024/03/28にサービス終了した。
正直絆Ⅱになってから一度もプレイしたことはないんだが、小学生の頃から長いことプレイしていたゲームだったため、無念な気持ちで俺はいっぱいになった。
絆との出会い(バカ長い)
戦場の絆との出会いは小学生何年の頃だっただろうか。その辺の記憶は定かではないが、まあ間違いなく初プレイは小学生の間の出来事だった。
いやもうちょい遡るべきか。ガンダムとの出会いを話そう。
俺の親父は過度というほどでもないがしっかりガンダムオタクであった。
工業大学にいた頃は講義をサボりサークル仲間と改造したクルマをサーキットで走らせていたらしい。アムロにも似たメカオタクだったのだろうと思う。
親父の書斎と化していた6畳ほどの一部屋は、PCがあったりガンプラを作るための机があったりと、俺の後の人生を方向付けた一因にもなっていた。
記憶に残っている中で最古のモビルスーツとの出会いは、そんな親父が作っていたザクⅢだった。ガンダムカラーを買ってきて筆で塗っていたりと趣味として片手間でやっていたにはなかなか凝っていたように今となっては思う。
俺が小学校に入学したあたりでちょうどガンダムSEEDが放映された。
当然俺も家族と一緒に観ていた。大人になってから見返すとストーリーは正直当時は理解できていなかったのだろうと思う。ぶっちゃけ当時観たときの感情なんかも憶えていないし、記憶としてあるのは食玩のフィギュアやガンプラを収集していたくらいだし、多分メカにしか興味がなかったかもしれない。ちなみに一番大事にしていた立体物は食玩のフォビドゥンブルーだ。なんで?
また親父は結構なゲーム好きでもあった。
学生の頃にテトリスを仲間と徹夜でスコアアタックした武勇伝は耳にタコができるほど聞かされた。当然講義はサボったらしい。
PS2で発売された『機動戦士ガンダム』は小学生になるかならないかくらいの俺には難しすぎた記憶がある。高校くらいになって改めてプレイして面白さに気づけた。
よって基本的には親父がやっているのを横で見ているかたちだった。
一撃必殺クラスのメガ粒子砲を連射してくるゾックを、ジャブロー地下の柱を盾にしてちまちま削っていたのが強く記憶に残っている。
次回作の『めぐりあい宇宙』や、『一年戦争』が家にやってきた頃には俺も十分自力でプレイできるようになっていた。ちなみにRX-78-2のキットで歴代最高のデザインをしているのは『一年戦争』の3Dモデルをもとにしたver.ワンイヤーウォーであると今でも思っている。
そんな親父に連れられてバンダイミュージアムにも行った記憶がある。
ザクマシンガン型のエアガンを使った的撃ち(改正銃刀法によって1J規制がなされ、エアソフトガンの概念が生まれたのが2006年のことなので、今となって考えると結構危険なものを撃っていたのではないか?と思うのだが、当然どういうパワーだったかということまでは憶えていない。あれ適法だったのかな?)が強く記憶に残っている。
またアーケードゲーム『機動戦士ガンダム スピリッツオブジオン』も強烈な印象を放っている。コミックスもおもしろかった。俺のザクⅡR型びいきは多分こっから始まっている。
前置きとしては特大の長さになってしまったが、俺が戦場の絆と出会ったのはこのくらいの時期だ。
REV1かREV2かは憶えていない。が、かなりの回数プレイしないと所持機体がまともに増やせない時期だったことは確かだ。シャアザクの入手に200プレイとか正気じゃない。
絆Ⅱの感想
絆Ⅱに移行するにあたってP.O.Dを廃止し3面モニターになってしまったことに関してはそりゃまあ思うところはいろいろあるが、総合的に考えたらしょうがなかったのかなと思う。
実際絆末期にプレイしていた人はわかると思うが、PODはスクリーンにヒビが入っているものもあったり、レバーがゆるんゆるんになっていたりとか、維持費が高いというのも想像つくし、もはやPODを持続することは不可能だったのだと思う。
また開発が主たる理由として説明していた、プロジェクター投影式だと画質やフレームレート、遅延に限界があるというのも納得できる。
とはいえ絆Ⅱがリリースされるまでは最新情報も興味をもって追いかけていた俺も、実際リリースされてからは全くプレイすることがなかった。やはり絆の魅力の大部分はPODに乗り込む体験にあったのだと感じる。
リワークされたシステムもおもしろくなさそうと感じたわけではなかったし、そもそも絆の3Dモデルが大好きだったので、高画質で味わえるのは楽しみですらあった。
そういうわけで、やはり絆Ⅱがサービス終了とのニュースで悲しくなるのは当然だったといえるだろう。
戦場の絆と俺
でだ。ようやく俺が実際どんなふうに戦場の絆を遊んでいたのかについてだが、まず最終的な階級は准将であった。S帯に片足突っ込んだ程度の人間の戯れ言であるということは前もって言っておこう。
俺は主に弟と一緒にプレイしていた。
当時からそうだったが、俺はあまりマルチタスクが得意ではない。そのくせマクロで負けたりすると腹が立つ性分なもんだから、操作にあまり意識を割かなくて済む上に、味方を誘導しやすいタンクを好んでプレイしていた。
とはいえ6on6や8on8ではモビの重要度が上がってマクロの影響力は下がるため、場の雰囲気を見て近距離機や射撃機もプレイすることはあった。
前衛で好きな機体でいうと砂トロとか、ガルマザクとかだ。アンチ性能の高い機体が好み。
先に言ったとおり、マクロを一番活かせるのは4on4マッチだった。なぜというと、マッチ人数と総コストや拠点コストは連動するものの、人数が少ない方がモビが落ちるペースが遅く、相対的に拠点の重要度が増すからだ。
またVCがつながっている弟と二人セットで動くことが合理的かつ効率的で、自然と人数を護衛アンチで割り振ることができる。
野良で遊んだときに枚数配分がうまくいかずファーストアタックがぐだぐだになって負けた試合を数多く経験した人も多いと思う。俺たちが4on4の日を選んで遊びに行くようになったのは必然だった。
で、具体的にどういう戦術を採っていたかというと、4on4でタンクを選ぶ定石に従って、俺は前衛を支援できる武装と機動力を持った低コストタンクを使った。具体的に言えばザクキャノンやヒルドルブ。
弟には1護衛であることを考慮して高コスト格闘機体を使ってもらっていた。具体的に言えば生存能力に優れたシャアゲルググだ。
あ、もうお気づきかもしれないが、俺は基本ジオンでプレイしていた。なんなら連邦アンチだ。
俺は特にヒルドルブをプレイするのが好みだった。
武装はキャノンAは固定として、サブはマシンガンか焼夷榴弾、格闘はショベルアームかAPDSFSから選択だ。コストアップ武装は同時に二つ採用することは絶対にしない。
ビッグガンを装備したザクキャノンよりも自衛能力には劣るものの最高速に勝り、前衛として動く際はマップに応じて支援能力を重視するか射撃能力を重視するかを選択できる。もちろんザクキャノンのほうが素直に使いやすい。
ヒルドルブの最大の特徴は速さだ。これを活かすことができなければ、ややコストの高い、キャノン系としてもタンク系としても中途半端な役立たずのタンクが一丁上がりだ。
そういうわけで、やはり狙うべきはラインを押し上げて可能な限り相手の拠点まで近づいてから拠点を破壊することだった。
そうすることで相手アンチが護衛に合流するのを遅くできるし、こちらのセカンドアタックに相手アンチが動きを合わせるのも難しくなるし、さらに味方の護衛(つまり弟)が一対一に集中できる可能性も生めるわけだ。
ぶっちゃけこの戦術だけでかなりのアドを生み出せていて、俺と弟のデュオは結構な勝率を誇っていた。将軍位というか、S帯にたどり着くことにはかなりのプレイ回数が必要で、俺たちはその点でいうと少なめのプレイ回数で乗り込めたのではないかと思っている。
最後に
で、今更ながらここでもう一人の登場人物がいる。弟の同級生なのだが、こいつは小さい頃からのゲームうま男で、特にこまテクに秀でた実力者だった。
俺と弟二人よりもかなりプレイ回数が少ないくせに、S帯の護衛2枚に対して野良をほっといて一人で圧倒するようなこともあるほどだった。先に述べた俺の戦術に合わせて相手がアンチを2枚仕向けてこようもんなら相手は護衛1枚、そうなるとボコボコもいいとこである。
俺と弟が生存能力にぶっぱした構成をしているのもあって、ファーストアタック成立時点で結構なコスト差がつくこともままあった。あいつのギャンは本当にいい音色をしていた。
結構舌っ足らずで、ウラガンキンをちゃんと発言できずウラガン”チ”ンと言ったりしていた。特に俺たちはその辺を揶揄したりはしなかったが、太った風貌も相まってなんかチャーミングなやつだった。
あいつ今何してんのかな。久しぶりに会ってみたいな。
そんなメンバーで日本橋のタイトーに出張っていたのだが、俺たちがガチで遊んでいた頃はワンクレジット500円みたいな狂った値段設定は終わっていて、時間貸しみたいな概念のものが各ゲーセンの施策にあった。3クレ1000円で1時間単位とかそういう感じ。
で、大体は1000円遊んでから一度外に出て、マックでナゲット15ピースをしばいてから、もう1000円遊んでから東京チカラ飯をかき込んで帰るというルーティンだった。
これを月2回くらいのペースでやってたもんだから、まあバイト代はかなり消し飛んだ。でも楽しかったからワース。
結論は特にない。これはただの俺と戦場の絆との思い出の開陳。