金を超えた先の未来
金は、ない。
いくらでも欲しいもの。それが金かもしれない。
老後2000万問題や、年収ランキング、上場・・・
資本主義という社会の構造上人は、時にやりたくないことも金という安心のために時間をささげることがある。
仮に金持ちになったとしよう。生涯を通して使い切ることのできない金額のお金と富を手にして。その時に、自分は何をするのだろうか?
おそらく、いつも通りの生活か?それとも、どこか想像もしないことをしているのか?
たぶん、自分は生活は変わらない気がする。
変える気もないと思う。
幸いにも、お金持ちと呼ばれる人と何度か会うことがこれまでの人生でできた。
正直なところ、僕には合わない。そんな気がした。
お金持ちに集まる人は、お金持ちを崇拝する。
そして、不幸なことにお金持ちはそれをデフォルトで受け止めるようになる。
その異常な空気感を異常と感じなくなる。
それは、その人という人間に価値があるのではなく、その人の所有している数字に価値を感じる人が生まれているというということ。
起業家は野心的である。
しかし、その野心の向かう先はなんだろうか?
その時に、一概に起業家といっても千差万別。
自分は、どうなりたいのか?
その軸を20代で築きあげる必要がある。