合理的無関心とコロナ
*カバー画像は映画ハゲタカからです。
ちょっと前に日銀のサイトに論文が2つ掲載されています。
企業のインフレ予想の形成メカニズムに関する考察
―短観データによる実証分析―
合理的無関心や粘着情報の企業のインフレ予想形成に対する含意
―小型マクロモデルを用いた分析―
個人的に面白いのは、この論文2つとも「合理的無関心」というワードを使っていたことです。
合理的無関心とは
合理的無関心とは、少し前の選挙でも話題になりました。
どういうことかというと、「選挙しても僕にリターン無いし、選挙無視!」という行動をとる感じです。
インフレと合わせて考えると、「政治、日銀が何をしようと、僕にリターン無いし無視!」
という感じです。大雑把ですが、大枠はこれです。
んで、2つの論文とも、その合理的無関心という概念を利用して論理立てています。要は、日本企業は合理的無関心が最適な行動だと思っているという前提です。
コロナ後
今はどうでしょうか。過去、現在、未来と分けるのなら現在です。
かなり政治に期待してないでしょうか?合理的無関心ではありません。むしろ支援を求めています。
合理的無関心が最適解だったのはなぜか?
人は失うことには敏感です。コロナで預金額は減る。非常に単純だが、これに尽きる。
要は、コロナ前は「生活が良いとは言えないが安定していた」
コロナで自粛が始まってから安定ではありません。やはりこういう場合、大量の権限とお金を操作できる権力に期待するのでしょう。
日本はフラットなアニマルスピリッツ
日本はアグレッシブなアニマルスピリッツ型ではなく、フラットなアニマルスピリッツ型と言える。 安定が重要視される。物理で言えばリミットサイクル です。
リミットサイクル を一言で説明すると「メトロノーム」です。 どんな開始位置で初めても、一定のリズム(運動)を保とうとします。
「生活が良いとは言えないが安定していた」つまりメトロノームです。
これは、失われた30年の影響でしょう。要はコロナ関係なく平常時でも信用乗数が増えないのは、人の行動がリミットサイクル だからです。
そして、恐らく日本はコロナ後もメトロノームを望む。つまり、コロナ後も経済が活発になるとは思えない。人よりも不動産を信じる社会に希望はありません。
ただし、ポジティブに捉えると、メトロノームはリズム設定が可能です。
コロナ後のリズム設定は、政治家や国民全体の意志次第じゃないでしょうか。
以上です。