近藤 卓

Onefunc CEO. https://onefunc.com 最近副業始めましたhttps://thinkupstudio.com

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マガジン

最近の記事

何か説明するときの現代人の癖

何かサービス、理論、考え方を提案するときの組み上げ方として、 A が (好きor嫌い 良いor悪い )だから B という(新しい理論、自分の主張)を提案する という論理が多いように思える。ネットやビジネス系、政治記事、哲学っぽい人のインタビュー記事に多い。これは別にデータをとったわけじゃない主観なので、なんとも言えないけど、納得してくれる人も多いと思う。恐らく、他者と比較する=客観的にみるというような思考になっている?ように見える。 これ。「他者」に依存しているように

    • 合理的無関心とコロナ

      *カバー画像は映画ハゲタカからです。 ちょっと前に日銀のサイトに論文が2つ掲載されています。 企業のインフレ予想の形成メカニズムに関する考察 ―短観データによる実証分析― 合理的無関心や粘着情報の企業のインフレ予想形成に対する含意 ―小型マクロモデルを用いた分析― 個人的に面白いのは、この論文2つとも「合理的無関心」というワードを使っていたことです。 合理的無関心とは 合理的無関心とは、少し前の選挙でも話題になりました。 どういうことかというと、「選挙しても僕にリ

      • ビジネスにおいて「本質」は問いにならない

        カント的なのですが。(この一言で、この投稿の意図が伝わる人がいると思います) 良く「本質」と言う言葉を用いて、ビジネスのコアな箇所を捉える表現することが多いと思います。僕もちょっと前までは、使いやすい言葉なので使ってました。 ただ、よくよく考えると、ビジネスの本質はユーザの認識にある。そして、その認識は行動でしか表現できない。つまり「現れ」のみを僕らビジネス側は観察できる。つまり、本質自体を観察できない。 本質自体を問うのは、神様がいるかどうかを問題にするようなもので無

        • 即興演奏は自由じゃない。 データと自由の距離感について

          自分自身を自由にしているか?よく「フリージャズは自由だ」という意見を聞きます。 冷静に考えてみればわかりますが、自分の脳から自由になっていません。なぜなら手癖があるからです。ドラムとベースとピアノでテンポが合っていない即興演奏もありますが、それも同じです。自分から自由になっていない。 この視点は、現代音楽家のジョンケージの視点です。前に読んだ本にこう言った内容で、インタビューに答えていたと記憶しています。(僕は本を全て売っちゃいました!) 確かこの本です。Wikiped

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        • 作った音楽
          4本

        記事

          経済学におけるエントロピーの再定義

          経済学にもエントロピーの定義ってあるのかな?と調べたところ、結構壮大な定義が出てきたので、それとは別な定義の方向性を書きます。 現状の経済学におけるエントロピーグーグルで検索するとよく出てくるのが、以下の大雑把な定義です。 ジョージェスク=レーゲンは、熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)にのっとって経済プロセスを分析した。 ここまでは僕は同意なんですが、以下の箇所が壮大すぎて逆に使いにくい印象です。 彼は、「経済のプロセスは価値のある天然資源(低エントロピー)を

          経済学におけるエントロピーの再定義

          社会的均衡崩し 禍福は糾える縄の如し

          社会的均衡関係で僕の興味にマッチした文章があったので共有します。 マルチエージェント説得における社会的均衡関係の影響 門脇 克典 小林 一樹 北村 泰彦 擬人化エージェントによる説得において,エージェントとユーザの社会的関係が重要であると指摘されている.本研究では,バランス理論の観点からマルチエージェント説得における社会的均衡関係の影響を調べるために,二体のエージェントとユーザの三者関係についてエージェントの説得効果を評価した.その結果,エージェントの説得効果は不均衡関係

          社会的均衡崩し 禍福は糾える縄の如し

          社会的均衡と、妄想とデザイン

          なかなか面白い文章を発見したので、共有します。 特集「社会規範と世論の形成」に寄せて 序 佐 々 木 彈 全体的に僕の作っているAIスケジュール管理アプリのアルゴリズムの基礎でもある古典的な行動経済学みたいなノリで、興味もある分野なので面白かったのですが、ここではひとつ引用します。 地主いわく「我々としては本来あなたのような優れた経営者 に農地を貸出すことは大歓迎のはずだ.しかしながら我々は金融業者たちが如何に保守的 かよく知っている.彼らは何故か,黒人に冷たい

          社会的均衡と、妄想とデザイン

          機械の前に人間の意思決定を考える必要がある

          あるアルゴリズムから偏見をなくすのは実現不可能だとプログラマが判断したなら、そのアルゴリズムは公共の使用に供するべきではなく、廃止すべきです。 記事の内容は、差別をするアルゴリズムは「廃止すべき」という内容。 正直なところ、海外だけでなく日本でもこういう論調の人が多いです。特に政治も好きなビジネス系の方に多い。 ただ、それ自体が極端すぎるバイアスがあると僕は思っています。 もちろん、人をゴリラと認識する画像認識の処理は、その人を不快にさせる場合がある。別な例では、ある特定の

          機械の前に人間の意思決定を考える必要がある

          「普通の人」は、存在しない

          上の記事の大まかな理屈はかなり同意できる。 頭がいいと言う表現は、ちょっと釣りっぽいけどもw ただ、別な視点も書いておくと、「普通な人」は現実のプロダクトにおいては存在しなくて、ターゲットになるユーザはそもそも普通ではない。 プロダクトとユーザは相互に関係性があるので「普通」は存在しない。 マスと普通は異なる。 「マス」と「普通」は同じ層を指す事になる可能性が高いけど、視点が少し違う。 例えば、noteにとってマスと普通は異なる。 ただ、最初に書いたように言いたい

          「普通の人」は、存在しない

          iOSの三つのチャンクの変化

          オブジェクトベースってのUIが流行ってるっぽいけど、ビジネス的にはトキトバかな。と思う。あんまり先入観を持って作るべきじゃないというか、例えば、スタートアップの初期の段階で、かなり単機能な場合は、どうでも良い。  構造のデザインよりもビジュアルのデザインと、何というか、、経営的なデザインの方が重要というか、ある意味勢いしかない。 ベストよりベターで積み重なる。 UI系に関しては、それよりもiOSはiPhoneX以降のスライド操作の変化系がヤバい。半モーダルの画面遷移。関

          iOSの三つのチャンクの変化

          「いらすとや」が起こしたイノベーション

          前提。イノベーションとはイノベーションは技術的な話だけではなく「どう社会を変えたか」 そしてイノベーションにもレイヤーが存在し、「個人」「村」「社会」的な、関わる人の範囲も存在すると思います。 「いらすとや」の起こしたイノベーションとは明らかに「ビジネスパーソンの伝える水準を上げました」 もっと言うと「伝えるという行為に価値を求めないビジネスパーソンの、伝え方の水準」を上げました。 「いらすとや」イノベーションの条件1, いちいち許諾を得る必要がない 2, 文脈が日

          「いらすとや」が起こしたイノベーション

          万能ナイフの話

          「単機能なアプリ」と「多機能なアプリ」と「シンプルなアプリ」について の続きです。 よく万能ナイフ(十徳ナイフ、アーミーナイフ)を例に出し、「多機能すぎて使わない」みたいな現象を例に否定する話や記事を読みます。 あれはあれで道理があって納得するのですが、違う視点を書きます。 顧客が何を欲しいかアーミーナイフ、万能ナイフ。 あれは中二病を掻き立てるものです。 サバイバルで一人で生きていくためのツール類は、中二病を発症させます。一言で言えば映画の見過ぎです。ウォーキング

          万能ナイフの話

          「単機能なアプリ」と「多機能なアプリ」と「シンプルなアプリ」について

          微妙に分かりにくい違いですが。 「単機能なアプリ」客観的な視点 「多機能なアプリ」客観的な視点 「シンプルなアプリ」主観的な視点 「単機能なアプリ」だから「シンプルなアプリだ」とは限らない。 例えば、使い慣れたアプリの方が「シンプルなアプリだ」と言われることが多い。 ただし「単機能なアプリ」は「シンプルなアプリだ」となりやすいのは確か。なぜなら、必要な機能までのアクセスが速いから。 誤解があると思うのは「多機能なアプリ」だから「シンプルなアプリではない」とは限らないと

          「単機能なアプリ」と「多機能なアプリ」と「シンプルなアプリ」について

          精度ではなく「不確かさ」という視点

          機械学習の記事などが増えて「精度」という言葉を見ることが増えていると思います。 ただ、僕は違う視点の「不確かさ」という言葉を推していこうと思っています。 なぜかというと現実的なサービスに落とし込む際に「不確かさ」視点の方が何かと機能しやすい場合もあるからです。 この投稿ではサービスを作る際のデザインの要素としての不確かさを書きます。 *これから書く内容は一般的な「不確かさ」の定義とは少し異なる意味もあります。一般的な意味を知りたければ検索した方が良いです。 不確かさ

          精度ではなく「不確かさ」という視点

          AIサービスの普及で起きる人の認識の変化

          数日前からアマゾンエコーが突然笑い出すと言う「珍事件」が発生しています。 アマゾンもその問題を認識して、今は修正中らしいのですが、まだ解決していない段階です。 これはユーザからすると「怖い」です。突然笑い出すのですから。幽霊がいるの?とか色々考えれます。 それに、これは「失礼」です。真剣な会議や、家族内でも真剣な話をしているときに笑い出すこともありえます。 別れ話をしている最中にスマートスピーカーが笑ったら?(いや、これは案外面白いかも?w) この問題をもう少し俯瞰し

          AIサービスの普及で起きる人の認識の変化

          デザインの意思決定を多数決に頼るのはアリです

          多数決で選ぶデザインはデザインじゃない など、オリンピック関係とか公共物のデザインとかに関して「多数決」を使うのは間違いじゃないか?という意見をチラホラ見ました。 理解しますし、そもそも合意する点が多いです。ですが、僕はあえて別な視点から多数決というデザインを書きます。 多数決でもアリでしょ?と言うことを説明します。 多数決は「納得感」をデザインする手法として適切です。意思決定の結果として重要な「納得感」を演出するデザインとして「多数決」は最適です。 別な言い方では

          デザインの意思決定を多数決に頼るのはアリです