仏教に学ぶ生き方、考え方「どちらでもよいということ」
生活の色々な場面で、「どちらにするのか?」を選択することがあります。
例えばランチを注文すると「ライスにしますか?パンにしますか?」と聞かれます。
スープはコーンかコンソメか、食後のデザートはプリンかゼリーか、飲み物はコーヒーか紅茶か、、、
その全てに「どっちがいいだろう?」と迷っていてはいつまでも注文ができませんよね?
これは笑い話ですが、「人生の選択場面」では、「迷ってばかり」ということは、往々にしてあると思います。
そういうときは「どちらでもよい」と考えてみてはいかがでしょうか?
というのは、よく自分で考えて選択しているつもりでも、知らず知らずのうちに「選ばされている」ことは実は多いのです。
また心理的には、自分が選んだほうがいいと「意味の後付け」をすることもあるそうです。
そうすると選んだ理由を考えたり、納得させようとしたりさて、物事への「執着の気持ち」が高まります。
仏教では「執着は苦しみの始まり」ですので、実は「サラリと流した」ほうがいいのです。
そんなことで、選択場面ではなるべく悩まず、その時間を「noteの原稿作り」に充てたいと思っております。
☆今日の一句☆
人生は
短い悩んで
終わらすな