仏教に学ぶ生き方、考え方「貪瞋癡がなぜ恐ろしいのか?」
人間には煩悩が「百八」あると言われております。
その中でも「貪瞋癡」の三つは「三毒の煩悩」と言われております。
つまり「貪ること、怒ること、愚痴ること」が最も毒になりますよと言われているのです。
ではなぜ煩悩の中で貪瞋癡が「毒」になるのでしょう?
この三つの煩悩の中で、一番最初に抱く煩悩が「貪欲」になります。
この煩悩が邪魔されると「怒り」になり、怒りが出せない環境では「愚痴」になるわけです。
なので貪欲をいかに「減らしたり反らしたりする」ことが一番大切になってきます。
でも、本来貪ることは「成長するための糧」にもなるはずです。
「これでいいや」と貪欲に欲することをやめてしまうと、会社を大きくすることも何かを発見することもできません。
つまり貪欲は、「好奇心や野心の元」にあるはずです。
でもあえて仏教では「貪欲は毒」と言われているのです。
それはなぜかと私なりに考えてみました。
そして「人生は有限であり、必ず手放すときが来るということを忘れてはいけませんよ」というメッセージが隠されているのではと思うようになりました。
つまりいくら多くのものや素晴らしいものを手に入れても、必ず「手放すとき」が来る。
だとしたら手に入れたものが多いほど、苦しみも大きくなるはずです。
その苦しみを未然に少なく軽くするために、こう言っているのではないかと。
でも貪欲を苦しみに変えないように「自ら少なく軽くする」こともできるのではないでしょうか?
それは得たものに「執着しない」という姿勢です。
財産や地位、絆など得たものを時が来れば潔く手放すことで、失う苦しみを少なく軽くすることはできると思います。
それには、いつかそういうときが来るという覚悟と、その時のためにどうすればいいかを常日頃考えておくことが必要ではないかと思うのです。
☆今日の一句☆
貪るも
いつかは手放す
ことを知る