ほとけさまのおしえ「エサをもらうということ」
この時期、水辺で水鳥たちに「エサ」を上げている人がおります。
冬になり、なかなかエサにありつけない鳥たちには、撒かれるパンくずや飼料は「魅力的」に映るでしょう。
一処にたくさん「群がって」エサをついばんでいます。
その光景を「長閑(のどか)だな」と思い眺めておりますが、よく見ると鳥たちは「壮絶なバトル」をしております。
いつどこに投げ込まれるのかわからないエサを最初に見つけ移動し、的確についばんだものだけが「ありつける」のですから、ライバルたちと「激しい争奪戦」になります。
でももしかしたらこの広い湖の何処かに、一人だけでゆっくりとおいしいエサを食べている水鳥がいるかもしれません。
その水鳥は他の鳥に見つからないように、なにもないようなふりをして「隠れて」食べているのかもしれません。
そんな鳥がいることも知らずに、撒かれたエサにほとんどの鳥が「群がっている」のです。
もし「他にも」おいしいエサを得られる場所があるかどうかを知るにはどうすればいいのでしょう?
まずは群がっている場所から離れて、「空高く飛び立ち」離れたところから「全体」を見渡さないと気づかないですよね?
つまりは、エサの場所は「群れ」から離れることでわかるのです。
そしてみんなのいるところ、思うところから「ちょっと離れてみよう」という気持ちが起こるときには、今の周りの環境にちょっと疑問を持ち、自分で離れて探しに行こうとする姿勢が必要です。
これは「水鳥だけの話」でも「エサをもらうだけの話」でもありません。
「見真」(けんしん)とはつまり、どのような心の持ちようでいれば真実を見ることができるのかを求めていくことなのではないかと思います。
私たちが日頃の生活に疲れて日々の競争社会に疑問を持ったとき、自らそれに気づき「離れて全体を観る」ような心がけにもつながるのではと思っています。
☆今日の一句☆
エサ求め
よりよいエサ場を
見逃せり