ほとけさまのおしえ「若き日の悩み」
法事にお伺いすると、時々「若い方」から質問を受けることがあります。
この前も、法要の後、お話をさせていただいたら、それを聞いていた大学生の方から、「若い人がある日突然事故や病気や災害で亡くなることがあることについて、どう考えますか?」と質問を受けました。
仏教には「老少不定」(ろうしょうふじょう)という考え方があり、誰もがいつどこで命を終えることになるのかわからないこと、でもその中で日々の命に「感謝を申し上げる」ことの大切さをお伝えさせていただきました。
でもあとから、その青年はもっと「違うこと」を聞こうとしていたのではないかと思ったのです。
つまり死というものが「生きる価値があるかどうか」によって決まるものではないということを聞きたかったのではないかと。
「まだまだ若いのに無念だっただろうな〜」
「もう十分長生きして大往生だったな~」
そういいながら、知らず知らずのうちに、「命の重さ」を計っているのではないかと。
そして命の重さが等しいように、若い人も同じように「命の何たるか」を考え悩んでいてもいいのではないかと思うのです。
一つ言えることは、答えが見つからなくても、その状況を「そのまま」にして生活することの大切さです。
悩みをすぐに解決しようとせず、人生の時間の中で「熟成させる」くらいの心の余裕があるといいなと思っております。
私も若いときにいろいろ悩みました。
そして今も同じようなことで「同じように」悩んでおります。
きっとあと何十年後があるとしたら、「同じように」悩んでいることでしょう。
悩み考えることは、つまりは「命が繋がっている」ということに他ならないと思っております。
☆今日の一句☆
若さとは
悩み続けて
おる時間