仏教に学ぶ生き方、考え方「拝まれる」
お墓やお仏壇に向かって手を合わせてお参りするとき、「拝んでいる」と思っていますよね?
でも実は「拝まれている」と感じて見える方は少ないのではないでしょうか?
でも実は皆さんは拝まれており、願われているのです。
ちょっとピンと来ませんが、仏教の(特に浄土真宗の)教えはまさしくそうなのです。
阿弥陀如来様はその昔、法蔵菩薩という修行の身だったときに、みんなをもれなく、また等しく救うだめに四十八の願いを立てられました。
そして、「その願いが叶わなかったら、絶対に仏にならない」と言われたのです。
その法蔵菩薩様が、「阿弥陀如来様になられている」から、「願いは叶えられている」と考えるのです。
私たちはみんながその願いによって「願われている存在」なのです。
それを手を合わせて、お称名をお唱えして、「いただく」だけでいいのです。
拝みながらも実は「拝まれている」ことに、気づけば、とても安心できますよね!
☆今日の一句☆
拝まれて
救われていく
安心感