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仏教に学ぶ生き方、考え方「蜘蛛の糸」

「蜘蛛の糸」の意味するもの

 蜘蛛の糸の話を知ってますか?自坊の先々代が幻燈(げんとう)という今のスライド上映にあたるもので繰り返し話をしてくれたよ。」ということを話していただく御同行様がたくさんお見えになります。その時の感想が「怖かった」とか「後味が悪い」という印象を持たれる方が多いようです。

 蜘蛛の糸のあらすじはというと、阿弥陀様が蓮池の隙間から地獄の様子を見ていると昔一度だけ蜘蛛を助けたことのあるカンダタという男が苦しんでいるのを見つけ、蜘蛛の糸を垂らして極楽に救おうとします。極楽から垂らされた糸に気づいたカンダタはそれを掴み登ろうとします。しかし後から登ってくるたくさんの人達を見つけ、このままでは糸が切れると考えてその人達を蹴落とそうとします。そうこうしているうちに糸が切れてしまい、カンダタはまた地獄に落ちていきます。そしてそれを見ていたお阿弥陀様は「仕方ないなぁ」、という表情でまた戻っていくというストーリーです。

 これを初めて聞いた時、子ども心に阿弥陀様はなぜ太いロープではなく細くて切れやすい蜘蛛の糸を垂らされたのか、そしてなぜカンダタを救うことをせず、すぐにあきらめてしまったのか?と考えてしまいました。でもそう思った人も多いのではないでしょうか?

 実はこのお話の中には仏教の真髄が書かれていると思います。それは煩悩の本質と煩悩に翻弄される私たち凡夫が描かれているんです。自らの悪い行動という「原因」で悪い「結果」を招いている、そしてそれに気づいていない人間の有様が描かれていると思います。
 そうはいっても煩悩は人間の本質でもあるわけです。自分が消そうとしてもそう簡単に消えるわけではない。だからどちらにしても、地獄に落ちることは決まっているのではないでしょうか?これを親鸞聖人は「地獄は一定の住処ぞかし」(地獄に行くということは決まりきっている)と言われたのです。それを助けようとしている阿弥陀如来様はまさにすごい人なんですね。

 でも私達凡夫が阿弥陀様に救われようとするとそれなりの心がけも必要になってきます。蜘蛛の糸の場合は、自分だけでなくみんなのことも助けるという布施の気持ちです。
 「早起きは三文の得」と言わんばかりに人より早く動いたものが利益を得るという考えが世の中の主流になっています。そんな世の中に今一番必要なのはみんなが救われる「蜘蛛の糸」なのかもしれません。

☆今日の一句☆

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    みんなが幸せ
       布施ごころ

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