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ほとけさまのおしえ「教育と因縁果」

 皆さんは「教育」と聞いて何を思い浮かべますか?

 一口に教育と言っても「様々な理念や方法」があります。

 「絶対受容」がいいという方も、「スパルタ教育」こそ成長するのだという方もお見えになり、しばしば「議論」になったりします。

 私が子どもの頃は「体罰」が日常的にあり、「スポ根」でしごいたり、「罵声や恫喝」で子どもたちを怖がらせる先生がいたものです。

 でも最近は大きな声で指導するのも「パワハラ認定」されるような世の中に様変わりしてきているようです。

 教育を考えるとき、最近私は仏教のこの考えを意識するようになりました。

 それは「因縁果」の教えです。

 「因果応報」は以前にもお話しましたが、原因と結果を繋ぐものとして「縁」がございます。

 つまり「原因が縁に触れることで結果が現れる」という考え方です。

 例えば種子があってもそのままでは変わりません。

 でも種子が「太陽の光や土壌の養分や水」といった縁に触れることで、芽が出て茎が伸びやがては花開くという結果が現れるのです。

 そういう意味では縁はとても「大切な要素」と言えるでしょう。

 そして教育とはまさに「ご縁」なのではないかと思うのです。

 つまり、子どもが教育というご縁に触れることで結果が現れると考えてもいいでしょう。

 そして教育者や保護者は、まさに縁を結ばせていただく人、つまり「縁者」ということになります。

 ところが縁者である保護者や教育者は、どうしても「結果」を求めてしまいます。

 子どもが素直で穏やかになり、学力が高まってほしいと強く思うでしょう。

 でも思うような結果が現れないと、それを「子どものせい」にすることもしばしばです。

 でも因縁果の教えを深く知れば、結果がでなかったり、違う結果が現れることは至極当たり前にあることなのです。

 子どもの性格や気質も違えば、縁者の関わり方も違う以上、思い通りの結果になることはまずありえません。

 そして結果を求めすぎて「苦しみを感じること」は、虚しいことだと言えるでしょう。

 それより私たちは子どもたちにとって、いいご縁を結ばせていただいているのか?

 そういう視点で子どもたちとの関係を今一度「諦観」するほうが、はるかに合理的だと思っております。


☆今日の一句☆

 子どもたち
     感謝のできる
          ご縁あり

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