仏教に学ぶ生き方、考え方「待てる人、待てない人」
皆さんは、待ち合わせの人が遅れるとき、「どれくらい」待つことができますか?
また「電車の遅延」や「車の渋滞」に出くわしたら、「どんな心持ち」になるでしょう?
よく待てる人は「心が広い」とか「忍耐強い」と言われたりします。
本人もそれを意識していて「上司たるもの部下にそんなことで怒ってはいけない!」とばかりに寛容な姿を見せ、信頼を得ようとする人もいます。
でも仏教的には我慢したり他人の目を意識したりするのもすべて「煩悩」があるからに他ならないと考えます。
つまり「イライラする」のも「我慢する」のも同じ煩悩なのです。
怒りをあらわにするのはともかく、我慢できるのは「素晴らしいんじゃないですか?」と思いますよね。
でもよくよく考えれば人によく見られたいという「名誉欲」が強いから我慢できるんですよね?
では仏教的には「待つこと」をどう捉えればいいのでしょう?
それは「ありのまま」に捉えるということになると思います。
つまり「あ〜遅れてるな~」「渋滞してるんだな~」とそのまま観て、それにあれこれ理屈や理由をつけないように心がけるわけです。
もちろん簡単にできるものではありません。
簡単にできたらそれはもう「悟りに近づいている」と言ってもいいでしょう。
大切なのはできるできないに関係なく「心がける姿勢」です。
ちなみに私が待ち合わせをする時はなるべく「ファミレス」や「喫茶店」で会うようにします。
もし待つ時間ができても、快適に過ごしたり他事ができたりするからです。
そして遅れてきた知り合いに「めちゃ待ったわー、ほんといつ帰ろうかって思っとったわ~」と毒を吐きながらも、「和やかな表情」で迎え入れるようにしたいと思っています。
☆今日の一句☆
待ち時間
仏を想う
いい時間