仏教に学ぶ生き方、考え方「急がないで生きるということ」
三月になると、土日は心なしか渋滞も増え、ちょっとでも先を行こうと「隙間」を縫うように走る車もいます。
ところがそうやって前に行った車もいつの間にか信号に引っかかり、気がついたら「隣りにいる」なんてこともあります。
私が子どもの頃は交通事故が多く、「交通戦争」とまで言われました。
そこで「狭いニッポン、そんなに慌てて何処へ行く」という標語まであったくらいです。
その頃に比べると随分と穏やかにはなりましたが、「慌てる人」は多いようです。
でも急ぎたくなったときは、阿彌陀如来様が悟りを開くために「四十八の願い」を考えたことを思い浮かべではいかがでしょう?
ちなみにその願いをどれくらいの「時間」考えたかご存知ですか?
なんと「五劫」もの時間考えたのです。
では「一劫」(いっこう)とはどれくらいの長さなのでしょう?
それは百年に一度、岩山に天女が舞い降りて、羽衣の袖でサラリと岩を撫でるとほんのちょっと擦れて削れます。
その摩擦で岩山が消滅するまでの時間が「一劫」なのです。
まさに「どんだけ〜」と叫びたくなります。
限りなく「無限」に近い時間ですよね?
そのことを思えば、「渋滞○○分」どころか、私たちの一生も「刹那い」ものなのです。
だから慌てず急がず、「今この時」を楽しみながら生きていきたいものです。
☆今日の一句☆
私たち
みんな刹那の
時過ごす