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ほとけさまのおしえ「パラリンピック」

 バリの「パラリンピック」が盛り上がっております。

 素晴らしいプレーと、並々ならぬ努力の結実を思う存分ぶつけて、競技される姿勢には心を揺り動かされます。

 そして「ハンディキャップ」という言葉を忘れて見入っている方も多いでしょう。

 以前にも申しましたが、先代の住職である私の父親には「九人の兄弟」がおりました。

 その一番上のもう亡くなった長女は「聴覚障がい」でした。

 子どもの頃、お正月やお盆には実家である自坊に帰ってきては明るく楽しく「笑顔で」接していただきました。

 その方と様々な話をするのがとても楽しかったものです。

 とはいえ手話を全く使えない私とは、専ら「口話」で話していただきました。

 私の口を動きを目で見て発音を読み取り、口の形と息の強さの加減で言葉を発声に「変換」するのです。

 でもその音声は自分では聞き取れなません。

 想像の中で「声という音」を作り出し、コミュニケーションを取るのは「甚だ大変だったのではなかったか?」と思うのです。

 でもそんなことを感じさせない明るい笑顔と、大きめの身振り手振りが大好きでした。

 そして誰にでも明るく笑いを振りまきながら、接していただいたのです。

 なので「ほとんど聞こえない」ということは頭ではわかっていても、話しているときはそれを「忘れている」ことも多かったのです。

 その様子を今振り返ってみて、いい意味で障がいを「意識しすぎていなかったな〜」と思うのです。
 
 最近は街中で「車椅子」の方や「手話」の方を見かけることも多くなりました。

 そういう人への配慮を意識しながらも、一方ては当たり前のように「空間を共有」していきたいなと思うのです。

 そして我が「心の中」にこそある「障がい」に気づいていけたらと思っております。


 ☆今日の一句☆

 当たり前
    思う心に
       へだてなし

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