![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130749766/rectangle_large_type_2_3e6eb2ac5bceb51842fba5272fa7260d.png?width=1200)
Photo by
seijiohnoba
ほとけさまのおしえ「マルハラ」
Z世代や十代のやり取りには、文末に「。」を付けないそうです。
当たり前のように文末に「。」を付けてきた世代には、なんとも「キレが悪い」感じがします。
付けないと文の終わりが意識できず、もしかしたら「あまり文章を書くのが得意ではないのかな?」と逆に思ってしまいます。
でも若い世代は「。」に威圧感や冷たさを感じるようです。
まさか令和のこの世になって、句読点にも「気を使わなくてはならない」時代になろうとは思いもよりませんでした。
でも実は私はそれほど「違和感」がありません。
それはなぜかと言うと、お勤めの最後に拝読させていただく「御書」には句読点がついていないのです。
漢字と片仮名で書かれ、なおかつ句読点がないので、「暗記するほどに」読み込んでいないと、言葉の区切りがわからなくなってしまいます。
大谷派や西本願寺派では蓮如上人の「御文章」が詠まれますが、たぶん句読点はついていないと思います。(違っていたらすみません)
実は句読点が一般的に使われるようになったのは「明治時代」からと言われております。
それまでの「音読」に代わって、「黙読」をするようになって、区切りをより「はっきりさせる」ためにつけられたそうです。
そして告別式の後に渡される御礼状にも、句読点をつけません。
区切るということが「縁を切る」ことにつながるという「いわれ」があるそうです。
そんなことで、Z世代は日本語のあるべき姿に「原点回帰」をしているのかもしれません。
そして御書や御文章を原文のまま、スラスラ読める若者も増えてきてくれたら嬉しいのです。
☆今日の一句☆
句読点
なしを受け入れ
偈文読む