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ほとけさまのおしえ「繙の御書」
令和七年が幕をあけました。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
旧年中は多大なるご厚情を賜りあつく御礼申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて今日は元旦です。
年の始めのこの時期、何事も初めて取り組む「新鮮さ」を感じられているのではないでしょうか?
「初日の出、初夢、書き初め、初売り、、、」などなど。
そして新年に初めてお参りすることも「初詣」と言われて大切にされてきております。
初詣というと、すぐに神社が思い浮かびます。
でも本来は神社であれ仏閣であれ、初めてお参りするときを初詣と申します。
そして元旦最初のお勤めを、お正月を修める集まりという意味で「修正会(しゅじょうえ)」と申します。
ところで真宗高田派では、この修正会でのみ詠まれる「御書」(ご法主様のお手紙)があります。
それは「繙の御書(ひもときのごしよ)」です。
これは親鸞聖人から下ること第十九世の「円祥上人」がお書きになったものでございます。
なかなかの長文で、カタカナ書きの句読点なしの原本をスラスラと詠むために一ヶ月ほど前から練習をしてまいりました。
そして読み込むに従って、「滲み出る意味合い」を深く味わっております。
それは「親鸞聖人の教えの本当の意味合いを、どのように捉えて実践していくのか」が具体的に書かれているからです。
諸行無常のこの世の中で、「他力本願の教え」をどのように捉え、日々の生活に活かしていくのか?
歎異抄にも描かれているように、教えというものは「受け取る側の心持ち」によっては如何様にも解釈できるものなのです。
その中で「そのまま、ありのままをいただく」ことはなかなか難しいなと思っております。
でもだからこそ「仏の道をゆっくりと求めていく」ことに、意味合いがあるのではと思っております。
☆今日の一句☆
初詣
教えいただく
心持ち