ほとけさまのおしえ「くだもの」
暑かった日々も終わりを迎え、今朝はぐっと寒さが増しました。
「北風」も吹き、いよいよ秋から冬に向かっているなと実感しております。
秋といえば、柿やみかんといった様々な「果物(くだもの)」が食欲をそそります。
食欲旺盛な私は果物も大好きなので、これから美味しくいただきたいと思っております。
さてこの果物ですが、結果の「果」に「物」がついております。
果実も結果の「果」に「実る」という字がついております。
つまり、「結果として実った物」が果実や果物という意味なのでしょう。
私たちはとかく結果に「目がいきがち」です。
確かに結果は目に見えますし、形や実績として現れるので「実感しやすい」でしょう。
でも結果には必ず伴うものがあります。
それは「原因」です。
全てのものには原因があり、結果があるのです。
輝かしい活躍には「地道な努力」があるでしょうし、美味しい果実には「太陽の光や水や養分」があり、それらを適切に調整されている「農家の方」の知恵や努力があります。
でも私たちは、とかく結果ばかりに目がいき、原因を「見逃している」ことが多いのではないでしょうか?
仏教には「因果応報」という教えがあります。
これは「原因と結果はちゃんと対応しているんですよ〜」という教えです。
「そんなことばかりではないよね~?」と思う時もありますが、よくよく考えてみるとちゃんと「原因」に行き着くはずです。
よく「人はなぜ命を終えなければなからないのか?」と悩むことがあります。
でも「命を終える」という結果にも必ず原因があるはずです。
命を終える原因を、「病気や老いや不摂生や運命」だと思う時もありますが、実はもっと根本の原因があります。
それは、「生まれる」ということです。
生まれるということが命を終える「原因」であると思う方は少ないでしょう。
でも生まれたものは必ず命を終える。
全ては「生死一如」であり、その果実をいつかは手にする「定め」と知れば、「今ここに」生かされている「この命」に感謝できるのではないかと思っております。
☆今日の一句☆
柿食えば
生死一如の
我と知る