仏教に学ぶ生き方、考え方「バチが当たるということ」
子どもの頃、自転車で転んだりすると、「バチが当たったんやわ」と友達から言われたことがあります。
大人になっても、ちょっと嫌なことがあると、「あ〜これはちゃんと年回の法要をしてないからバチが当たったのかな?」と思うこともあるやもしれません。
では仏様は言うことを聞かない人々に「バチ(罰)」を当てるのでしょうか?
答えはシンプルに「否」です。
なぜかというと「そういうこと」もお見通しで、そんな「凡夫」こそ救いたいと「願われて」いるからです。
つまり「親の恩も知らず、日々何気なく過ごし、欲深く、怒りっぽく、嫉妬ばかりしている人こそ救いたい」と願われているのです。
確かにあまりに気が付かなかったり、酷いことをしたりしたら、ちょっとは「懲らしめる」かもしれません。
でももしバチを当てるほどの力があるのなら、すぐに「人間以外に生まれ変わらせる」のではないでしょうか?
なのでこうやって人として命を頂いている以上、いつも救おうとされていると言ってもいいでしょう。
それに気づいて、今のこのときを「幸せに感じること」ができたらと思っています。
☆今日の一句☆
この私
ほっとけないんだ
ほとけあり
(※久しぶりのダジャレにご注意ください)
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