仏教に学ぶ生き方、考え方「怨憎会苦」
社会に出ると「顔を合わせたくないような人」と出会うこともあります。
車で走れば「割り込んだり煽ったりする人」がいますし、言葉の端々を捉えて「しつこく質問してきたりする人」もいます。
そんなとき凡夫の私は、「なんかややこしい人だな」と思ってしまいます。
本来僧侶であるなら「ありのまま」を見て「何も感じない」のでしょうが、なかなか私にはできません。
仏教で考えるの苦しみの一つに「怨憎会苦」(おんぞうえく)があります。
これは怨んだり憎んだりしている人と会う「苦しみ」です。
これは、社会の「様々」な場面に転がっていると思います。
新しい職場や学校で、「まさに」こう感じている人が見えるかもしれません。
でもそれを思い悩むことはけっこう「負担」になりますし、なんとか解決しようと思っても「相手のある」ことですから大変難しいものです。
なので、私はなるべく「そういうこともあるさ」と受け流し忘れるようにしています。
今という瞬間を「思い悩む」ことに使うのは「勿体ない」と思うのです。
お釈迦様も、説法を聴いて分かってくれる人は「三分の一」だったそうですし、親鸞聖人も一人も話を聴いてくれる人が「いない」日もあったのです。
なので「気にせずそのまま」で放っておいて、また新たな気持ちで過ごしていければと思っております。
☆今日の一句☆
苦しみは
いなして透かして
受け流す
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