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mucc881
ほとけさまのおしえ「気づくということ」
十一月も中旬にさしかかりました。
この時期、真宗寺院では「報恩講法要」が勤まります。
報恩講とは「恩に報いる集まり」という意味です。
誰の恩に報いるのかと言うと、皆さんご存知の通り「親鸞聖人」です。
親鸞聖人の生き方や考え方は、間違いなく「仏教の新たな境地を切り拓いた」と言えるでしょう。
そして、煩悩の多い私たちに対しても、阿弥陀如来様は必ず全ての人をお救いくださると信じた方です。
そう言うと「私たちにはいったいどれぐらい多くの煩悩があるのか?」と聞かれたりします。
また自分のことは考えず、「あの人は欲深く煩悩だらけだ」と「陰口」を叩いたりする人もいます。
でも阿弥陀如来様からは私たちが「どう見えているのか?」と言うことはあまり知られておりません。
私たちは実はほぼ「百パーセント」煩悩でできていると言っても過言ではないでしょう。
つまり私たちは「煩悩に手足が生えている状態」と見えているのではないしょうか。
これを「煩悩具足」と言ったりします。
そして煩悩だらけの人同士が、他人を「欲深い」と言いあっている。
そんなふうに阿弥陀如来様からは見えているのです。
でも阿弥陀如来様は「慈悲と智慧」の心で、そういう人々を憐れんで救おうとしてくださっている。
そのことに「気づくということ」を親鸞聖人は伝えられたのだと思っております。
☆今日の一句☆
彌陀願う
煩悩具足の
我れ救わん