見出し画像

ほとけさまのおしえ「気づくということ」

 十一月も中旬にさしかかりました。

 この時期、真宗寺院では「報恩講法要」が勤まります。

 報恩講とは「恩に報いる集まり」という意味です。

 誰の恩に報いるのかと言うと、皆さんご存知の通り「親鸞聖人」です。

 親鸞聖人の生き方や考え方は、間違いなく「仏教の新たな境地を切り拓いた」と言えるでしょう。

 そして、煩悩の多い私たちに対しても、阿弥陀如来様は必ず全ての人をお救いくださると信じた方です。

 そう言うと「私たちにはいったいどれぐらい多くの煩悩があるのか?」と聞かれたりします。

 また自分のことは考えず、「あの人は欲深く煩悩だらけだ」と「陰口」を叩いたりする人もいます。

 でも阿弥陀如来様からは私たちが「どう見えているのか?」と言うことはあまり知られておりません。

 私たちは実はほぼ「百パーセント」煩悩でできていると言っても過言ではないでしょう。

 つまり私たちは「煩悩に手足が生えている状態」と見えているのではないしょうか。

 これを「煩悩具足」と言ったりします。

 そして煩悩だらけの人同士が、他人を「欲深い」と言いあっている。

 そんなふうに阿弥陀如来様からは見えているのです。

 でも阿弥陀如来様は「慈悲と智慧」の心で、そういう人々を憐れんで救おうとしてくださっている。

 そのことに「気づくということ」を親鸞聖人は伝えられたのだと思っております。


☆今日の一句☆

 彌陀願う
    煩悩具足の
        我れ救わん

いいなと思ったら応援しよう!