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仏教に学ぶ生き方、考え方「人はなぜ福袋を求めるのか?」

 皆さん、「お正月」といえば「福袋」が楽しみですよね。

 そういう私もお正月のお参りの後で、除夜の鐘の片付けを済ませ、年賀状もしたためて投函してから、福袋を購入しに某大型ショッピングモールに来ております。

 そして無事に某有名たこ焼きチェーン店と、某有名ハンバーガーチェーン店の福袋をゲットしました。「我が食欲」はどどまる所を知りません。

 よく「お坊さんが自身の煩悩の話をする」ことを「タブー視」する人がいます。

 すべての煩悩がなくなって、「煩悩に囚われない」お坊さんであれば、煩悩の話をしなくてもいいでしょう。

 でも煩悩があるのにそれを隠して、「らしく」振る舞うのはいかがなものでしょう。

 それよりは、「煩悩がある」ことを認め、でも「こんなふうに考えたら、気にならなくなりますよ~」と伝えるほうが、はるかに実践的と言えるのではないでしょうか?

 お釈迦様は三十五歳で「煩悩を離れ、悟りの境地」に至りました。

 でもお釈迦様は、八十歳のとき、「チュンダ」という鍛冶屋の家で出された「スーカラ・マッダヴァ」という食べ物を食べ、食中毒になられたのです。

  そしてそれが元で亡くなってしまいます。

 「スーカラ・マッダヴァ」は「柔らかい豚肉」と言う意味で、たぶん「チャーシュー」みたいな食べ物と思われます。

 つまり、「お釈迦様でさえも」最後まで「食欲」を持っておられたのです。

 まして、私のような「凡夫」が食欲をなくすことなどできるであろうはずがありません。

 ならば食欲という「煩悩」が大きくならないように、「上手に付き合っていく」ほうがいいのではと思っています。

 ☆今日の一句☆
 
 福袋
  己の煩悩
     詰まってる



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