仏教に学ぶ生き方、考え方「自分が必要とされていないと感じるとき」
仕事にしても家庭にしても、自分が「必要とされている」と嬉しいものです。
仕事を任せてもらえて、結果に「満足」してもらえる。
家庭では子どもが帰りを待って玄関で「お迎え」してもらえる。
そんな自分を夢見て、「仕事」に就き、「家庭」を持つわけです。
でも月日が経つと徐々に存在が「当たり前」になり、できないことが目につくようになり、仕事に行くのが「怖い」、家庭に「戻りたくない」と感じる人も多いのではないでしょうか?
そして自分は社会から「孤立」しているのでは?自分なんか「いなくてもいい」んじゃないかと思い悩み、苦しい心を抱え込むこともあると思います。
でもそもそも自分は誰かに「必要とされなければいけない」のでしょうか?
よく考えれば必要とされるには必要と「感じでもらう人」がいるわけです。
つまりあなたがいないと「困る」という人と一緒にいるから、必要とされているだけのことです。
周りの人が「自立」していれば、誰もあなたを必要としなくてもいいでしょう。
なので必要とされていなくても、周りにそういう人が「いないだけ」なんだなと思って堂々と生きていけばいい。
仏教は自ら「寂しい人間」だと思い込まされ、自分の「存在を狭める」ような思考から「開放」させてくれる。
そんなふうに感じている自分がおります。
☆今日の一句☆
いいんだよ
あなたはそのまま
ここにいて
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