言葉が遅くてしゃべらない次男。幼稚園入園できるのかな!?と思った話
次男は長男と10才離れています。
非常に手のかかる長男で10年間鍛えられた経験もありますし、次男が性格的にあんまり(長男のような)悪いこともしないので、ほとんど怒ることもなく、10年ぶりの新生児をほとんど“孫”のような気持ちで子育てしてきました。
そして、次男が生後3ヶ月で引っ越してきた大分県の山村部では、人口が少ないので、まわりに同じ月齢の子が長男の時のようにはおらず「他の子と比べる」ということもほとんどありませんでした。
長男の時は、同年代のお友達親子も何組かいたし、子育て広場やサークルなどで、そういう親子と一緒になる機会も多かったので、
「うちの子は、もう2語文がしゃべれるようになったよ!」
とか
「ストローで飲めるようになったんだよ!」(←市販のパックジュースが飲めるようになるのでとっても便利)
とかいうママ友の言葉に、
うわあ〜〜、うちはまだだ〜〜〜。
遅れてるのかな〜〜〜!?
と、成長スピードについてムダに焦ったりしていましたが、次男の時はそういう焦りが全くありませんでした。
…だって、まわりに比べる子がいないし、長男の時はどうだったっけ?…と思い出そうとしても10年前なのであんまり正確に思い出せないんです😅
そんな感じではあったのですが、たまーに6ヶ月検診とか1歳児検診とかで同年代の子を大量に見る機会があると、
「え!? みんなもう、こんなにしっかりしてるの?」
「そんなにペラペラしゃべれるの!?」
と、ビックリしちゃうんですよねー。
実際、個別の相談でも、
「んー。ちょっとハルキ君は言葉が遅いみたいですねー」
と、言われていました。
そして、最初は「様子を見ましょう」だったのが、だんだん成長するに従って「ちょっと専門の先生に診てもらった方がいいかも」みたいになってきたのです。
ハルキの言葉の遅れについては、もともとの性格もあると思うのですが、普段の様子から考察してみると、多分、この人は、
「自分が日本語をしゃべる必要性を感じてないのではないか?」
と、親としては思っていました。
というのも、ハルキが「あーあー」とか「うーうー」とか、日本語にならない言葉を発していても、私、何言ってるか分かっちゃうんですよね💦
普段の生活に言葉が必要ないんですよ!!
そして、長男アキラもある日、
「やーおー」
「んーまーんー」
とか、ハルキ語をせっせと練習していたので、
「アキラなにやってんのー?
ハルキ語なんか練習しても使うとこないでしょ!?」
と言うと、
「ハルキとしゃべる時に使う」
とか言ってて、まわりが「ハルキに日本語を教える」ことにあまり興味がない…どころか、むしろ「ハルキ語にあわせている」ため、そりゃー、ハルキは日本語を習得しようとか思わないよなー、と。
そんな感じで、家の中では言語的に何不自由ないハルキなのですが、2才を過ぎ、この先、幼稚園に入ることを考えると、先生や他の子と意思疎通できないのはかなり不自由なことになります。
大丈夫かなーと思いつつ、試しに幼稚園に放り込んでみたら、やっぱりあんまり大丈夫じゃなかったみたいで、幼稚園の先生からも、ハルキの言葉の遅れについて、
「今度、市で相談会があるから行ってみたらどうかなー」
と、言われてしまったのでした💦
幼稚園の先生としては、口の機能的に何か問題があったら悪いから…ということを一番に心配されてたんですが、専門の先生に診てもらったら、そういうのはなくて普通に遅れてるだけ😅
それにしても、個別相談の先生とマンツーマンで、車やフルーツの絵のカードを見せられながら
「これは何?」「それは何かな?」
「この中で○○なのはどれ?」
と、ミニテスト中のハルキがムチャクチャ緊張しています。
アキラと違って超真面目なので、ちょっと難しい問題には、
「わからなかったら怒られちゃうの? 間違ったら怒られちゃうの? ちゃんと話せないと怒られちゃうの?」(←普段、怒られ慣れてないので、ちょっと怒られと必要以上にビビる)
と、すごくドキドキしているのがこっちまで伝わってくるのです。
かわいそうに😅
そして驚いたのが、自分でも「ちゃんと発声できてない」という認識があるみたいで、いつもしゃべってる時とは全然違う感じで、一語一語、丁寧に一生懸命、最大限の能力を出し切って発声してる(←のに、ハッキリしてないところが可愛い)のがとても愛おしいのです。
私が横で耐えきれずクスクス笑っていたら(ごめんよー)
「あに、わらってるよー(怒)!!」(何笑ってるんだよー!)
と、怒られちゃいました。
ちなみにハルキ4歳ぐらいの時、日本語能力的には、アキラのちょうど2歳ぐらいな感じだったのです。↓これぐらいの日本語レベル。
母ちゃんの好きなアキラ語。
「あぽこん」
パソコンのこと。
すんごい能力低そう。
足し算、引き算ぐらいしかできなそう。
本人はちゃんと「パソコン」と言ってるつもりだけど、
母ちゃんが、
「あぽこん、あぽこん」
と、バカにすると、
「あぽこん、ちあうのー」(あぽこん違うのー)
「え、違うの。じゃあ、何?」
「あぽこんっ!」
…あぽこん、じゃん。
「ちあんーーーっ」(違うーーーっ)
なんてことを、当時のブログに書いてましたが、まさにこれぐらいの感じだったんですねー。
自分ではちゃんとしゃべってるつもりだけど、しゃべれてないという。
ハルキ、実年齢4歳、体格は5〜6歳。それなのにしゃべりは2歳…という、非常にややこしい男。
その後も幼稚園の先生から、
「おうちでも、例えば“これは何かな?”と聞いてお子さんに答えさせてみるとか、“これは○○だねー”とか、語彙を増やすような声かけをどんどんやってみてくださいね」
とか言われていたので、ハルキに、
「ねーねー、ハルキも色々しゃべれるようになったら、幼稚園のお友達ともお話できて楽しいと思うんだよー♪ 母ちゃんと、ちょっとおしゃべりしてみなーい?」
と、色々話しかけてみると、
「にゃーん、にゃーん」
…猫になりました。
「おいこらー! ハルキー!! おまえっ! せっかく母ちゃんが日本語の練習しようって言ってんのに、なんで猫になるんだよっ!」
と、突っ込むと、
「んっげっげっげっげっげ」
と、悪い顔して大笑いしてます。
…この人。日本語完璧に分かってますよ。
これはもう、本人がしゃべりたくないだけだから、別にしゃべらなくてもいいんじゃないでしょうか。そのうち自分でしゃべりたくなったらしゃべりますよ。
…と、幼稚園の先生に説明して分かってもらうにはどうしたらいいんだろうか。
まあ、多少の不自由はあるかもしれないけど横並びじゃなくていいじゃーん、ハルキにはハルキのペースがあるんだよー、と思いつつ、どうして私はハルキの言葉の遅れ自体じゃなくて、それを心配してくれるまわりの人への気遣いで頭を悩ませているのだろうか、とちょっと不思議な気持ちに。
親が全然心配してないとゆーのに、どーしてまわりの人たちがこんなに心配するのだろうか。
確かに心配してくれるのはとってもありがたいのです。
それは間違いない。
成長の遅れを心配している親にとっては、まわりの人たちが一緒に対応を考えてくれるっていうことは本当に心強いことだと思います。
でも、心配してない親にとっては、まわりから「心配しろ」とか「心配するべき」と思われるのは逆にプレッシャーになるというか…😅
乳幼児検診の問診でも、
「言葉の遅れがあって心配である」
という設問がありまして、これ、どっちに「丸」したらいいのか悩んだんですよねー。だって、
「言葉の遅れがあるけど、心配してない」
んですもん(・∀・)
世間的には『言葉の遅れがある=心配』は当たり前にデフォルトなのかー。
うーむ、私はこの設問、○にするべきか×にするべきか。
悩ましい。
結果、どう答えたかというと、答えのマルバツのところじゃなくて、設問の文章のところに下線を引っ張って「遅れがある=○」「心配である=×」と書いてみました。
おまけ。
ハルキは小さい頃から、疑り深いというか、妙なこだわりというか、ヘンに頑固な部分があるんですよね。
なので、「言葉をしゃべる」ということに関しても、自分の中でのゴーサインがなかなか出なかったのではないか、という気もしています。
例えば、数字を教えようと思って、こっちが、1、2、3…って教えてるるのに、
1、3、10、6、7、2、3、4、8、10!
と、独自の並びを言い張ったり…。
いや、意味分からんし。同じ数字2回出てくるし。あー、ややこしい、ややこしい。
この謎の数列はしばらく言い張ってましたが、次第にどこで折り合いつけたのやら、今は、1、2、3…と、普通に言えるようになりました。
そして、ハルキ語の「ま」というのもありました。
最初は「ない」とか「持ってない」という意味で、
「ハルキ、○○持ってる?」
「ま」(ない)
「ハルキ○○ある?」
「ま」(ない)
という使い方だったのですが、次第に意味を広げてきまして、この「ま」を「そうじゃない」とか「not~」みたいに、否定語として使うようになったのです。
「はやい、ま」(速くない)
「こわい、ま」(こわくない)
などなど。
面白いんですけどねー。
そんな独自のハルキ語を確立させるよりも、普通にみんなが使ってる日本語を習得した方が早くてカンタンよ、っていうか、そんなに既存の日本語がイヤなのかよって思ってました(・∀・)
そんなこだわりの男、ハルキも今や小学3年生。
おかげさまで、だいぶ、日本語習得してきました。
発声はいまだに微妙です😅
心配はしてません。
こちらの記事にたくさん♥️いただきました。読んでくださっている皆様、いつもありがとうございます😊