#89 記憶を風化させない。
1.東日本大震災から13年
今日 3月11日は東日本大震災から13年。
新聞各紙のコラムー朝日(天声人語)、毎日(余録)、読売(編集手帳)、日経(春秋)ーは、そろって「震災13年」をテーマに書かれています。
その中でも、印象に残った若者(中学生・高校生)の取組を取り上げた読売(編集手帳)と毎日(余録)について書き留めておきたいと思います。
★福島県では今日、震災追悼復興祈念式が開催され、応募729作品を集めた「未来への手紙」から、選ばれた3作品が紹介される(福島民報)とのことです。
★金の光(兵庫県立姫路商業高校HP):(13年前の)幼児期に東日本大震災を経験した宮城県の高校生と(29年前の)阪神淡路大震災を知らない兵庫県の高校生とが共同開発した「金の光」を支援品として能登地震で被災した石川県の高校に送るー若い人たちの心映えと活動の素晴らしさに、胸が熱くなりました。
2.重い気持ちを立て直してくれたもの
元旦の午後4時10分、1年の中で最も気持ちがくつろいでいたであろうタイミングでの能登地震のニュースには耳を疑いました。
正月気分で、新年のノートは何をテーマに書こうか、と考え始めていたところでしたが、そんな気持ちは吹き飛び、1-2月はなかなか、書く気になれない日々が続きました。昨年11月末に投稿して以来、3か月が空きました。大げさですが、「休筆」か「絶筆」かを考える日々でした。
そんな中で、能登半島地震以降の私の気持ちを動かしたのは、地震の記憶を風化させないための2つの取組を知ったことでした。一つは29年前の「阪神淡路大震災」に関わるもの、もう一つは13年前の東日本大震災に関わるものです。
2-1「心の傷を癒すと癒すということ 劇場版」オンライン配信開始と自主上映の開催
一つは、映画「心の傷を癒すということ」のモデルになった精神科医安克昌さんの弟、安成洋さんの取組です。
安成洋さんは、阪神淡路大震災から29年というタイミングで、noteへの投稿を再開され、阪神淡路大震災時での心のケアをテーマにした同映画が、能登半島地震の被災地の方々の支援の一助になればということで、1月23日に映画のチャリティ・オンライン配信を開始されました。
私もすぐに視聴し、ささやかな募金をさせていただきましたが、同作品は何度見ても、心に迫るものがあります。改めて、阪神淡路大震災時に心のケアに取り組んだ安克昌さんの尽力には心を打たれます。記憶を風化させないためにも、弟としてたゆみなく伝え続けようという安成洋さんの強い意志を感じます。
3月10日現在のオンライン配信の視聴者は3160人、趣旨に賛同したチャリティ上映会も神戸・長野・京都・松山・福岡と各地で開催されています。
”この思いを起点に、「自分のできること」を具体化し、行動に移していければ、と思っています。” 安成洋さんのこの一言は、私の心に強く響きました。
2-2能登地震 心のケアに「阪神」の知恵~精神科医・中井久夫の言葉
1月30日付の読売新聞にノンフィクションライターの最相葉月さんが「能登地震 心のケアに「阪神」の知恵~精神科医・中井久夫の言葉」のタイトルで寄稿されました。
精神科医安克昌さんの活動は、精神科医中井久夫氏の理解と支えがあってこそのものであり、弟の安成洋さんもnoteに書かれています。
中井久夫氏には阪神淡路大震災時の精神科医としての関わりを著書『災害がほんとうに襲った時」に綴っていますが、最相さんは中井氏の了解を取り付け、著書と同じ内容がインターネットで公開されています。
阪神淡路大震災の記憶を風化させないためのひとつの具体的な形として、安成洋さんの行動を知ったこと・・・これが能登半島地震発生後の重い気持ちを立て直すきっかけになりました。
2-3ドキュメンタリー映画「いつか君の花あかりには」
2月17日(土)に西東京市で自主上映された「いつか君の花明かりには」を視聴しました。
47分の映画の上映の後、小川光一監督とともに映画の共同監督を務めた山崎光監督による、映画の解説・トークを聴きました。
「防災アレルギー」だった山崎監督が何故映画に取り組み、全国各地での上映に奔走・尽力しているか、静かな語り口ながら、山崎監督のお話は心の奥深いところまで届きました。
3.まず自分のやれること・・・具体的な行動から
震災の記憶を風化させないための取組~29年前の阪神淡路大震災(安成洋さん)、13年前の東日本大震災(小川・山崎両監督)~に触れ、年初からの重い気持ちを払拭するような力が湧いてきました。
震災の記憶を風化させることなく、語り継ぎ、具体的な行動に移していくことの大切さに思い至りました。
私の居住地域は、自治会もないところですが、高齢者から幼児まで年齢層は幅広く、実際に被災したときには大変なことになるのは必至です。
20世帯ほどですが、皆さんに声掛けをして、初めての防災訓練を行うことを決めました。まず、最初の一歩です。