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#89 記憶を風化させない。

1.東日本大震災から13年


今日 3月11日は東日本大震災から13年。
新聞各紙のコラムー朝日(天声人語)、毎日(余録)、読売(編集手帳)、日経(春秋)ーは、そろって「震災13年」をテーマに書かれています。
 その中でも、印象に残った若者(中学生・高校生)の取組を取り上げた読売(編集手帳)と毎日(余録)について書き留めておきたいと思います。

◆あの日、一歳半だった鈴木真日瑠さんはこうつづる。「忘れたい記憶も、忘れてはいけない記憶もすべて、『伝えていくべきこと』」。その言葉通りに、今は震災や原発事故に関する学びの成果を発信しているという。
◆家族の絆やふるさとを詠んだ十七字を県が募るプロジェクトで今年度の最優秀賞を受けた作品が胸を打つ。<ふるさとを どこか知らずに十二年>。震災の影響は今も続く。風化させてはならない。

読売新聞「編集手帳」(2024年3月11日付)

「どんなにつらいことがあっても明けない夜はない」「必ず太陽は昇り希望の光を照らしてくれる」。今年1月下旬、能登半島地震で被災した石川県七尾市内の高校に手紙が届いた。支援の真空パックご飯とともに。
◆書いたのは、東日本大震災で被災した宮城県農業高3年の河東田(かわとうだ)彩花さん。13年前、全国からの支援品、応援メッセージに励まされた。その恩返しの思いを込めた。
◆パックご飯は、同高と兵庫県立姫路商業高校が共同で開発した。姫路商業の生徒たちが、生まれる前に起きた阪神大震災について学んだことがきっかけだ。被災経験者の話を聞き、時間の経過とともに教訓が風化する現実を知った。
◆「東日本大震災のことも知りたい」と、昨年末に三陸を訪ねた。語り部の助成の「物や建物は復興しても、人の心はいつまでも復興しない」という言葉が胸に刺さった。「私たちにできることをしたい」
◆災害時に求められることを調べ、津波で校舎を失った宮城県農業高と連携して、被災者に役立つ食材作りを始めた。昨年末、兵庫の白米と宮城の玄米で作ったパックご飯「金の光」が完成した。今回、宮城側で保管していた600個を石川県に送った。
◆河東田さんは手紙の最後にこう書いた。「つらい時、悲しい時は日本全国に仲間がいることを思い出してください。私たちはいつも皆様のことを思っています」。能登の復興はまだ見えない。二つの震災、各地の災害の経験を踏まえ、息の長い支援と教訓の伝承が求められる。

毎日新聞「余録」(2024年3月11日)

★福島県では今日、震災追悼復興祈念式が開催され、応募729作品を集めた「未来への手紙」から、選ばれた3作品が紹介される(福島民報)とのことです。
金の光(兵庫県立姫路商業高校HP):(13年前の)幼児期に東日本大震災を経験した宮城県の高校生と(29年前の)阪神淡路大震災を知らない兵庫県の高校生とが共同開発した「金の光」を支援品として能登地震で被災した石川県の高校に送るー若い人たちの心映えと活動の素晴らしさに、胸が熱くなりました。

2.重い気持ちを立て直してくれたもの

 元旦の午後4時10分、1年の中で最も気持ちがくつろいでいたであろうタイミングでの能登地震のニュースには耳を疑いました。
 正月気分で、新年のノートは何をテーマに書こうか、と考え始めていたところでしたが、そんな気持ちは吹き飛び、1-2月はなかなか、書く気になれない日々が続きました。昨年11月末に投稿して以来、3か月が空きました。大げさですが、「休筆」か「絶筆」かを考える日々でした。
 そんな中で、能登半島地震以降の私の気持ちを動かしたのは、地震の記憶を風化させないための2つの取組を知ったことでした。一つは29年前の「阪神淡路大震災」に関わるもの、もう一つは13年前の東日本大震災に関わるものです。

2-1「心の傷を癒すと癒すということ 劇場版」オンライン配信開始と自主上映の開催

 一つは、映画「心の傷を癒すということ」のモデルになった精神科医安克昌さんの弟、安成洋さんの取組です。
 安成洋さんは、阪神淡路大震災から29年というタイミングで、noteへの投稿を再開され、阪神淡路大震災時での心のケアをテーマにした同映画が、能登半島地震の被災地の方々の支援の一助になればということで、1月23日に映画のチャリティ・オンライン配信を開始されました。
 私もすぐに視聴し、ささやかな募金をさせていただきましたが、同作品は何度見ても、心に迫るものがあります。改めて、阪神淡路大震災時に心のケアに取り組んだ安克昌さんの尽力には心を打たれます。記憶を風化させないためにも、弟としてたゆみなく伝え続けようという安成洋さんの強い意志を感じます。 
 3月10日現在のオンライン配信の視聴者は3160人、趣旨に賛同したチャリティ上映会も神戸・長野・京都・松山・福岡と各地で開催されています。
 この思いを起点に、「自分のできること」を具体化し、行動に移していければ、と思っています。” 安成洋さんのこの一言は、私の心に強く響きました。

2-2能登地震 心のケアに「阪神」の知恵~精神科医・中井久夫の言葉

 1月30日付の読売新聞にノンフィクションライターの最相葉月さんが「能登地震 心のケアに「阪神」の知恵~精神科医・中井久夫の言葉」のタイトルで寄稿されました。
 精神科医安克昌さんの活動は、精神科医中井久夫氏の理解と支えがあってこそのものであり、弟の安成洋さんもnoteに書かれています。
 中井久夫氏には阪神淡路大震災時の精神科医としての関わりを著書『災害がほんとうに襲った時」に綴っていますが、最相さんは中井氏の了解を取り付け、著書と同じ内容がインターネットで公開されています。

『災害がほんとうに襲った時』(中井久夫)より

 阪神淡路大震災の記憶を風化させないためのひとつの具体的な形として、安成洋さんの行動を知ったこと・・・これが能登半島地震発生後の重い気持ちを立て直すきっかけになりました。

2-3ドキュメンタリー映画「いつか君の花あかりには」

 2月17日(土)に西東京市で自主上映された「いつか君の花明かりには」を視聴しました。
 47分の映画の上映の後、小川光一監督とともに映画の共同監督を務めた山崎光監督による、映画の解説・トークを聴きました。
 「防災アレルギー」だった山崎監督が何故映画に取り組み、全国各地での上映に奔走・尽力しているか、静かな語り口ながら、山崎監督のお話は心の奥深いところまで届きました。

3.まず自分のやれること・・・具体的な行動から

 震災の記憶を風化させないための取組~29年前の阪神淡路大震災(安成洋さん)、13年前の東日本大震災(小川・山崎両監督)~に触れ、年初からの重い気持ちを払拭するような力が湧いてきました。
 震災の記憶を風化させることなく、語り継ぎ、具体的な行動に移していくことの大切さに思い至りました。
 私の居住地域は、自治会もないところですが、高齢者から幼児まで年齢層は幅広く、実際に被災したときには大変なことになるのは必至です。
 20世帯ほどですが、皆さんに声掛けをして、初めての防災訓練を行うことを決めました。まず、最初の一歩です。




 

 





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