#77 2月も最終日、2月はニゲル
1. 2月はニゲル、脱兎のごとく
本日は2月28日、2月も最終日です。1月はイク、2月はニゲル、そして、3月はサル、とばかりに、年明けの3か月が過ぎるのは早く感じますが、「兎年」の今年の2月は、特に早く「脱兎のごとく」時が過ぎた気がします。
子どもの時の1日は長く感じるけれど、大人になるとあっという間に過ぎていく・・・年を重ねるごとにこの感覚は強くなって行きます。この感じ方の違いについて、一説によれば、「5歳の子どもにとっての1年は人生の五分の一に相当するため長く感じるが、70歳の人にとっての1年は人生の七十分の一だから、あっという間に過ぎるように感じる」というもの。また、ある説によれば、「子どもの元気な細胞は、新陳代謝が活発で、一度にたくさんの情報を処理することができるため、時間もたくさんあるように感じるが、大人は新陳代謝が不活発になるため、その反対の現象がおこる」とのこと・・・いまだに分からない時間のフシギです。
1月はイク、2月はニゲル、3月はサルーこの感覚は、大人特有のことかと思っていましたが、「あっという間の3学期」と称して、ある小学校のブログにもこの言葉を使っているのを見つけ、思わず笑ってしまいました。
子どもたちではなく、先生が感じていることではないでしょうか。
2.平櫛田中彫刻美術館を訪れる
松下幸之助は、70代半ばで彫刻家の平櫛田中に出逢い、その時にかけられた言葉に驚かされ、勇気づけられたことが著書の中で紹介されています。
その平櫛田中氏の作品が収められている平塚田中彫刻美術館を、昨日訪れました。昨年の暮れに松下幸之助の上記エピソードを知り、是非訪れたいと思っていたのでした。
美術館には、平櫛田中の30代から100歳までの作品が収められ、作品の一つ一つに圧倒される思いで見入りました。正に自分は「はなたれ小僧」でした。小平市の公式ホームページにも紹介されています。
同じような言葉(はなたれ小僧)で有名なものに、渋沢栄一のものがありますが、渋沢の「四十五十は洟垂れ小僧」に対し、平櫛は「六十七十ははなたれ小僧」です。渋沢と平櫛の違いー平櫛の言葉には、彫刻家としての謙虚であくなき探究心を感じます。
ちなみに、松下幸之助、平櫛田中、渋沢栄一は明治・大正・昭和の同時代を生きていますが、3人とも長命でした。
松下幸之助(1894年11月27日ー1989年4月27日)94歳
平櫛田中(1872年2月23日ー1979年12月30日)107歳
渋沢栄一(1840年3月16日ー1931年12月30日)91歳
3.ラビット・イフェクトー「今さら」を「今から」に変える
コロナ禍はまる3年を超え、「終息」は見ないものの、一定の「収束」が確認される状況になりました。5月8日からは「5類」への移行も正式決定され、「これから」は「これまで」とは違う環境へと向かいます。
「これまで」の3年間は、①コロナ禍のためにできなかったこと、②コロナ禍にも関わらずできたこと、③コロナ禍だからこそできたこと、この3つの前提がありました。「これから」は、3つの前提が無くなることを意味します。
コロナ禍でのオンライン/リモートツールは大変便利で、その有用性を活用できたと思いますが、一方、この間、最も不足していたのは、人と人との温もりを伴うコミュニケーションだったと思います。
日経新聞の連載コラム「こころの健康学」で大野裕氏が、今月、7日/本日と、2回にわたって「ラビット・イフェクト(うさぎ効果)」を紹介しています。(電子版の会員限定記事です)
2023年2月7日付日経新聞「心の健康学」安心な交流、心身に好影響
2023年2月28日付日経新聞「心の健康学」趣味の会合 孤独を回避
「ラビット・イフェクト」については、ケリー・ハーディングの著作があります。日本語翻訳版はありませんが、一度読んでみようと思います。
兎は常に肉食動物から狙われる立場にあるため、非常に用心深い動物だそうです。しかし、観察し信頼できると分かった人間にはとても懐いてくれるとのことーコロナ禍で不足していた体感の温かさを取り戻していくことをイメージしながら、5類への移行を見据えて、生活のギアを少しずつ変えて行きたいと思います。
冒頭の「時間」の話に戻ると、佐治晴夫さんの言葉を思い出します。
ぬくもりを感じるコミュニケーション、「ラビット・イフェクト」をイメージしながら、コロナ禍から3年も経って「今さら」ではなく「今から」変えていきたいと感じた2月最終日でした。
明日から3月、また、ツキも変わります。