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クラブチームの「ウチらしさ」とは
サッカーに限った話ではありませんが、ちらほら引退や退団のニュースが出ていますね。
サポーターのショックは大きいことでしょう。
「なんであいつが?」だとか。
「あいつまで抜けるの?」だとか。
チームによっては、「ウチらしさ」を具現化したそんな選手まで抜けることもあるでしょう。
ただ、「ウチらしさ」って何ですかね。
「ウチらしさ」とは何か
「ウチらしさ」とは何か。
私は、「クラブチームの魂はどこに宿るのか」について、かつて述べたことがあります。
「ウチらしさ」も。
「チームの魂」も。
サポーター個々人が、それぞれ自分で決めます。
誰か一人が背負うものではありません。
背負わせるものでは無いと思います。
背負っているように見えることはある
背負っているように見えることはあります。
しかしながら、「背負わせ続けたかったのに」は過剰であろうと思います。
個々人それぞれに「ウチらしさ」はあって良い。
それを具現化したかのような選手に期待するのも良いでしょう。
ただ、「期待し続けたかったのに」と思うことはあっても、思うだけ。
サポーターには、どうしようもないことです。
そればっかりは、本当にどうしようもない。
「今までありがとう」だけです。
それだけです。
「骨を埋める」とは何事か
「骨を埋めるぐらいの気持ちでどうのこうの」と言う人間を何人か見たことがあります。
過剰なんです。
選手には選手の人生があるのですから。
それが「ウチらしさ」を具現化したような選手であろうとも例外ではありません。
骨を埋めるだの埋めないだの、そんなもんなんて口に出して良いはずがないでしょう。
もし、「骨を埋めること」を心の底から望むなら永代供養の墓地と墓石を用意すれば良い。
永代供養の墓地も墓石も用意しないで、軽々しく「骨を埋める」と口に出したら老害なんです。
「骨を埋める」とは何か。
「骨を埋める」とは何事か。
そう思います。
選手に限った話ではなく、軽々しく口に出してはいけないものだと思います。
「ただただショックだ」でも危ない
「ただただショックだ」は口に出しても構わないように思います。
でも危ない。
強いショック状態のままでいると、交通事故死の可能性が一気に高くなります。
「ウチらしさ」を具現化したような選手の進退で人間が死んでしまうことを誰も望んでいません。
オーナーも。フロントも。選手も。代理人も。
誰一人として、そんなことは望みません。
「サポーターは交通事故死してしまえ」なんて、そんなことを思う人間が一人でもいますか。
「ただただショックだ」なら良いです。
が、日常生活に支障があるなら休みましょう。
生きてさえいれば個サポにもなれますから。
移籍先を応援するもしないも、命あっての物種。
「サッカーより大事なものはない」とは考えずに「命の次に大事」ぐらいにしておいてください。