テイカーは他人に自責を強いる
前回は、テイカーに見える世界について、述べていきました。
今回は、テイカーの他責について述べます。
テイカーは他責をするが他責を嫌う
テイカーは「常に」自責でなく他責になります。
世界がそう見えているからです。
しかしながらテイカーは、人のせいにする割には「人のせいにするな」を多用します。
テイカーは他責を嫌うのです。
テイカーは他責をするが他責を嫌う。
これは、私の体験談だけはないと思います。
テイカーは他責のつもりなんてないからです。
嘘みたいな本当の話です。
「そんなつもりで言っているわけじゃない。」
「人のせいにしているのはアンタのほうだ。」
テイカーは、こういうことを本心から言っているため、本当に他責のつもりがないのです。
テイカーは他人の自責を好む
では、テイカーは何を好むか。
「他人の自責」なんです。
これは本当に恐ろしい話です。
テイカーは、テイカーがミスをしたら、ほぼ必ず他人のタラレバを言い始めます。
私だったらこういうふうに何々していたのに。
私にも悪いところはあった「かもしれないけど」アンタが何々していれば良かった。
テイカーは、こういうタラレバを言い出します。
テイカーのミスは、全て他人が原因なんです。
他人が思い通りに動いていれば、生じ得なかったものであるらしいのです。
テイカーには、他人は人間ではなく道具です。
あくまでも道具が悪いので、テイカーは悪くないというふうに、テイカーには見えているのです。
私にも悪いところはあった「かもしれないけど」というのは、取り繕いの大嘘です。
本当に悪いところがあったと思っているならば、「かもしれないけど」をつけません。
テイカーは、アンタが何々していれば良かった、とだけ言いたいところを隠しているのです。
そして、「アンタが何々していれば良かったとは思わないのか」に繋がっていきます。
テイカーは「他人の自責」を好むからです。
テイカーは他人に自責を強いる
こういう「アンタが何々していれば良かった。」という言葉は「とにかくアンタが原因だった」になっていきます。
テイカーは「自分にも悪いところがあった」とは認めないからです。
テイカーが極稀に認めているのは、認めたふりが得意であるからに過ぎません。
ゆえにテイカーは言うわけです。
「私も何々かもしれないけど。」
「アンタに悪いところがなかったと言えるか。」
「アンタが何々していれば良かった。」
「アンタさえしっかりしていれば良かった。」
テイカーは、他人に自責を強いるんです。
テイカーは、「他人の自責」を好むからです。
そして、いつの間にか「アイツのせいだった」になって行きます。
テイカーによる、「私も何々かもしれないけど」というその場凌ぎが、薄れていくからです。
元々、テイカーの本心からではないですから。
テイカーの他責は、ゆえに恐ろしいのです。