
根底にあるのは「人間に対する値切り」
前回まで三回、暴言について述べてきました。
人間に対する値切り
前回までは、「商品に対する値切り」です。
(商品にはサービスや特殊技能を含みます。)
極端だとゼロ円まで値切ります。
ゼロ円でない値切りは広く見られます。
大手小売が引き合いに出されることもあります。
商品を値切るためです。
けれども「商品に対する値切り」に見えますが、実際は、「人間に対する値切り」です。
値切る側に「人間に対する値切り」があるから、「商品に対する値切り」が生じるのです。
小規模事業者だったらちょっとぐらい良いだろうという「人間に対する値切り」が「安くしろ」や「タダにしろ」を生じさせるのです。
「読まないおじさん」は値切りの達人
この「人間に対する値切り」は、小規模事業者に対してだけではありません。どこでも生じます。
最近の拙稿で言うなら「読まないおじさん」が、値切りの達人であると思います。
(勿論、悪い意味での達人です。)
本なんて読まないが、読んでる奴より価値があるという、「読まないおじさん」は、自己正当化と自己愛性の権化です。
ゆえに、自己正当化が得意である。
息をするように自然に自己正当化をする。
そして、他人を値切るのも得意である。
息をするように自然に他人を値切る。
本なんて読まなくても自分には価値があるのだと思い込みたいがゆえに、自分をそのままにして、他人のほうを値切るというわけなんです。
自己愛性の人間の目には、自分は優れた人間で、他人は優れていない人間に見えていますから。
※末期は他人が道具に見えるそうです。
他人を値切っておいて「値切っていない」とさえ言い出し始めるのが自己愛性の人間です。
自己愛性の人間だけには、そう見えているから、「値切っていない」と言い出すのです。
「正当な値段を言ってやっただけだろう」とさえ自己愛性の人間には思えてしまうのです。
他人には価値がある
他人には価値があります。
しかしながら、自己愛性の人間にはそんなこともわからないらしいのです。
上述の「読まないおじさん」は業務委託先の人が最低賃金のアルバイトにしか見えていません。
(おそらくですが、当たっていると思います。)
だからこそ、「そこまで価値があるのかなあ」と不思議がるのです。
そして、疑問の体裁を取りつつ値切ろうとして、わざわざ口に出し続けるのです。
組織が決めた業務委託先に対する報酬ではなく、最低賃金やタダ働きに出来ないのかなと思って、そのまま口に出しているのだと推察します。
排他的どころの騒ぎじゃない。
業務委託先を最低賃金やタダ働きにしたいという老害の願望をそのまま口に出しているのです。
あれもこれもボランティアでやってくれればいいとさえ思えてしまう。
そして、それが普通だと思えてしまうからこそ、そのまま口に出す。
そういう老害なのだと見受けられます。
老害本人の価値が上がらなかったことではなく、他人の価値を値切ること、そして、蔑むことが、極めて大きなマイナスだったのだと思います。