酒前提の昭和ジジイの周りにある前提
前回は、夜の7時に野球を見ながらビールを飲む、頭が昭和の中高年(昭和ジジイ)の話をしました。
昭和の中高年に限らないので、補足します。
昭和ジジイの中にある前提
まず、昭和ジジイの中にある前提の話をします。
真っ先に挙げておきたいのは、酒への過信です。
酒を酌み交わした仲ならば、何でも言い合える仲ということである、という過信。
そんなわけがないんですよね。
無礼講が無礼講ではないようにです。
無礼講が「本当に」無礼講なら「なんたら長」を呼び捨てにしてみてください。
「おう佐藤」だとか。「おう鈴木」だとか。
キレてきますよ。本当は無礼講じゃないから。
けれども昭和ジジイは、無礼講だ、酒の席だ、と言いたい放題やりたい放題するわけです。
頭が昭和だからです。
昭和ジジイの外にある前提
問題なのは、昭和ジジイの中にある前提についてよりも、昭和ジジイの外にある前提なのです。
中にある前提には個人差があり、本当に無礼講を無礼講にする、心ある中高年が稀にいます。
(本当に稀。SSRやURと呼ばれる激レアです。)
けれども、外にある前提が大問題です。
酒の前後の移動はどうするんですか。
昭和ジジイは「家族に送らせればそれで良い」と平気で言います。ここが大問題なのです。
昭和型の嫁は、昭和ジジイに都合の良い道具で、移動を補わせておけばそれで良かったのです。
(良くないですが、ジジイには良かったのです。)
けれども、女性は付帯物や所有物ではないので、「それで良い」わけが無いのです。
頭が昭和のジジイはどうするか。
表現を変えるだけなんです。
「嫁に」じゃ駄目だな。「家族とかに」だな。
こうなるのです。
何が悪いか、わかっていないようです。
「何が悪いんだ。LGBTのパートナーでも家族だと認めてやれば良いじゃないか。」とズレたことを言い始めることさえあります。
ズレています。
昭和型標準世帯モデルは減少の一途です。
昭和型標準世帯モデルであろうと、女性のほうに急な残業がある率は増える一方です。
「誰かに送らせればそれで良い」という時代は、もう既に、平成の間に、終わったのです。
頭が昭和の女性もいる
頭が昭和の女性もいます。
特にマナー講師やインキュベーターにいますね。
カネが出るからです。
行政機関や天下り団体、或いは商工会議所など、そういったところからカネが出るからです。
頭が昭和の人間がカネをつけているのです。
喋る人間が、女性であろうと、若年であろうと、昭和の前提に沿って喋るから、頭が昭和になってしまうのです。
マナー講師やインキュベーターは何を言うか。
「最近は何々も増えてきていますし。」です。
地方都市にまで普及していないものの話をして、お茶を濁すわけです。
地方都市のラストワンマイル問題の解消なんて、首都圏や京阪神と同じように出来ないものであるにもかかわらず、です。
賢しらぶるな
「自転車とかで」とお茶を濁す、愚かな人間さえいるのが地方都市です。
賢しらぶるな。
自転車の飲酒運転は禁止である。
禁止を知らずに賢しらぶるな。
情報社会においては、知らずに、でさえない。
知ろうともせずに、何を言うのか。
知った上で、「でも」だの、「とにかく」だのと誤魔化す人間は、いくらでもいるのです。
頭が昭和の人間の前提に寄り添うためです。
男が酒を飲む。女に送らせる。
そういった昭和に合わせるためです。
自転車とかでなんとかなるんじゃないですかね、とでも言っておいたら、まあ良いか、なんです。そんなもの、論外なわけです。
昭和の前提で喋って良いはずがない
昭和の前提で喋って良いはずが無いのです。
「嫁に送らせる」が言いにくくなったのか、では根本が分かっていないのです。
「家族とか」、「誰かとか」、「自転車とか」。
そういう取り繕いでギリギリ成り立っていたものなんて、もう成り立たなくなったのです。
けれども、前提を変えたくない頭が昭和の人間はこう言います。
「徒歩で良いじゃないか。」
話になりません。
地方都市で駅から家まで歩くのは大震災時のみ。
それでも、「一緒に酒を飲まないとわからない」と言い放つ人間は、残念ながらいるのです。
私は、そういう人間に対して、頭が昭和なんだと心の底から思います。
人間は付帯物でも所有物でもありませんから。