「ヌン活コーデ」とはセルフブラックか?それともピュアブラックか?
前回、「パーカーおじさん問題」の本質について「バーカジュアル」を目論む(若年女性の)老害の話だと結論づけました。
スマートカジュアルもしくはそれに準ずるものでバーに来い、という排他主義者や全体主義者には極めて強い嫌悪を感じざるを得ません。
そんなものは蔓延してはならないのです。
(※まん延防止等重点措置が必要です。)
しかしながら、女性から蔓延し始めています。
その最たる例が「ヌン活コーデ」です。
今回は、「ヌン活コーデ」について述べます。
「ヌン活コーデ」とは何か
「ヌン活コーデ」とは何か。
アフタヌーンティー活動の服のことです。
ホテルではスマートカジュアルにしろ。
カフェでは柄物と露出を避けろ。
そんなことが述べられています。
「ヌン活コーデ」というヒント
ヌン活コーデには「パーカーおじさん問題」へのヒントがあります。
炎上の火種の女性は何と言っていたか。
アフタヌーンティーについて述べているんです。
ヌン活コーデをしてくるおじさんがいないから、男性にのみごちゃごちゃと言うわけです。
「何々カジュアル」というブラック
基本的に、ヌン活コーデは「何々カジュアル」の派生形の一種です。
「カフェカジュアル」みたいなものでしょう。
それ自体には恐ろしさを感じません。
が、蔓延するなら恐ろしいと感じます。
(※まん延防止等重点措置が必要です。)
それが非日常を楽しむためのセルフブラックなら何も問題はありません。
そこには自由と裁量がありますから。
しかしながら、カフェの雰囲気に合わせなければならない、とするならセルフブラックではなく、ただのブラック、ピュアブラックです。
そこには忖度と縛りがありますから。
「お茶会服」という悪しき伝統
大事なのは、「自由と裁量があるか」です。
ヌン活コーデってそんなに自由なものですか。
失礼ではいけない。無礼ではいけない。
雑念が混ざっていてお茶は美味しいんですか。
女性は一定程度に距離のある女性との付き合いに合わせてきた伝統があります。
その最たる例が「お茶会服」や「お手伝い服」。
強調しますが、セルフブラックなら良いです。
本当にセルフですか。本当に?
学校への忖度がないわけがないでしょう。
「友達でないママ友」への忖度もあるでしょう。
忖度と縛りのピュアブラックじゃないんですか。
お茶会服なんてのは悪しき伝統なんです。
「着飾る」はセルフブラックだった
「着飾る」は「セルフブラック」です。本来は。
元々は敬意だったのです。
(非日常の)何々に行くから、着飾っていくか。
そういうセルフブラックだったのです。
「非日常空間を楽しみたいから」という理由ならセルフブラックなので構いません。
しかしながら、炎上の火種の女性は、パーカーを日常のバーにさえ着てくるな、と言っています。
ただのピュアブラックでしかないんです。
女性が「友達でないママ友」に合わせてきたのは確かです。
悪しき伝統、忖度、縛りはあるのでしょう。
何故そこで、女性の縛りを解くほうには行かず、男性を縛るほうに行くのか。
「ヌン活コーデ」の負の側面を見ず、文字通り、上っ面しか見ていないのだと思います。
セルフブラックは認めますが、ピュアブラックは認めるわけにはいきません。