メンタルタフネスについて書きたいとは思うが筆が進まない
メンタルタフネスの話にしようと思ったのですが筆が進みませんね。
需要がある話だとは思えませんから。
修羅場をくぐって強くなった?
まず、私には、体育会系の人間の言う「修羅場をくぐって強くなった」が信用ならないのです。
血反吐を吐いたことありますか。
血で血を洗ったことありますか。
体育会系の人間にそれを言うと、あるかないかを言わないんですね。
ごちゃごちゃと言い始めるだけなんです。
「イエスかノーか、はっきりしろ!」
「はいかイエスでやれ!」
日頃そう言っているような体育会系の人間なのに「はい」も「いいえ」も「イエス」も「ノー」も言わなくなるんです。
自他ともに認めるバリバリの体育会系であろうと所詮はその程度の人間に過ぎないような人間が、結構な割合でいるんです。
ゆえに私は、体育会系の人間がどれだけ修羅場をくぐって強くなったと言っても信用しません。
修羅場をくぐれば強くなれるか?
「修羅場をくぐれば強くなれる」というところも否定したいと思います。
修羅場なんてくぐらずに済むのが一番です。
修羅場はあくまで「くぐる羽目になってしまう」なので、「くぐって強くなる」ではないのです。
修羅場なんてものは本当に辛く苦しいものです。
二度とそんなものはくぐりたくない。
二度と修羅場をくぐる羽目にはならないように、あれこれ考えるようになるほうが健全です。
あれこれ考えるようになって、修羅場を回避する能力がついて、結果的に強くなったように見えるということは、あり「は」します。
けれども「修羅場をくぐって強くなったんだ」と言いたくなるようなことは一切ありません。
修羅場にしてしまったことを悔いたり恥じたりになるからです。
「修羅場をくぐれば強くなれる」なんて、堂々と言うようなことは(私には)出来ません。
痛みや苦しみで強くなれ、とは言えません。
体育会系よりアスリート系が良い
私には体育会系よりアスリート系のほうが良いと思えるのです。
負けず嫌いだとか。勝負には必ず勝つだとか。
馬と鹿の区別がついていないと思います。
強くなったら強敵と戦うのが正しい。
強敵とギリギリの戦いをして、勝ったり負けたりするほうが良い。
全戦全勝の無双状態に何の意味がありますか。
勝ったり負けたり。成功したり失敗したり。
そのほうが余程価値があると思います。
勝利至上主義なんてくだらないのです。
勝とうが負けようが、接戦にこそ価値がある。
勝利は目的としますが、目的ではないのです。
勝負は1人や1チームでは出来ません。
良い相手がいなければ良い一戦は生まれない。
ヒカルの碁のようなものです。