「安保論争」 細谷雄一を読んで

2015年。安保関連法案による国会前の大規模なデモは記憶にある。当時はさして政治に興味がなかったので傍観していた。後に知人から「あれは戦争法だ」「将来的には徴兵されるかも」と聞き、政治に興味を持ち始めていた私、しかも左に大きく傾いていたので、「そうなんだ!あれは悪法なんだ!」と思っていた。しかし中身は知らず、イメージと鵜呑みで。

 現在の私のイデオロギー的立ち位置は、しいていえば中道左派か。そこで読み始めると、「はじめに」で朝日新聞の1992年のPKO協力法と安保関連法案の類似性とそれへの疑問から入ってきた。さては右から目線か……。本書の目的は、

 現代の世界でどのように平和を実現すべきか。そして、自国の安全をどのように確保すべきなのか。日本の安全保障を考えるうえで、冷戦時代と何が同じで、そして冷戦後には何が変わったのか。これらを考えることが、本書の重要な目的である。
細谷雄一. 安保論争 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.196-198). Kindle 版.

そしてその後、

 日本では実際の殺戮を行っておらずむしろ国際社会と協調してそれらの残虐な行為を非難している政府を激しく批判しているのだ。この違いは、何なのだろうか。どれだけ日本の政府を批判しても、日本の国外で現在行われている残虐行為、非人道的行為、戦闘行為がやむわけではない
細谷雄一. 安保論争 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.260-263). Kindle 版.

 日本政府への批判は国外問題と常に一緒である必要性はあるのか?

現在の日本において安倍政権の政治を批判したところで、世界で行われている戦闘や殺戮がやむわけではない。
細谷雄一. 安保論争 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.267-268). Kindle 版.

世界紛争をやますようなことではないと、政権批判をしてはいけないのか。

第一次世界大戦後のオクスフォード大学の学生団体が、国王陛下が決断するいかなる戦争にも協力しないという声明を出しても、そのこと自体がヒトラーによる侵略行為を防ぐことはできなかったと知っている。

 どうもこの、どんな抗議も直接的に効果がないものは無駄だ、的な論調が気になったり、

 しかしながら、残念にも、われわれがどれだけ大きな声で叫ぼうとも、彼らはアラビア語、中国語、朝鮮語、ロシア語であれば理解できるかもしれないが、日本語を理解することはできないだろう。そして、仮に彼らがそれらを理解したとして、それによって自ら理想や主張を放棄して、ただちに戦争をやめる決断には至らないだろう。

デモを揶揄しているような記述があったりするし、ここまでのような違和感、安倍首相と安全保障関係の懇談会に二回招待されていて、文中でも安倍首相だけに敬語を使ったり礼賛している部分があったりして、懐疑心を持ちながら読み進めたが、

しかし、

なんと奇妙なことであろうか。安保関連法に反対する人も、賛成する人も、同じ目的を抱いている。ところが今回の安保関連法をめぐる論争は、双方がともに十分に相手の論理を理解することができないなかで、相手を侮蔑し、批判している。実質的な対話が欠如している状態が続いているのだ。同じ目的を共有しながら、これほどまでに激しい反目が続いている。両者の間にそのような溝が横たわっているのは現在の日本を取り巻く安全保障環境をめぐる認識が異なるからである。まずは、その溝が何なのかを理解して、その溝を埋めない限り、不毛な論争が持続するであろう。
細谷雄一. 安保論争 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.280-285). Kindle 版.

と、中立的に俯瞰しているし、これは左右関係なく納得できる。

私が求めているのは、二〇世紀後半の半世紀に、国際社会でどのようにして平和を確立させようとする努力がなされてきたのか、そしてそれにもかかわらずなぜ平和が崩れ戦争が勃発したのかということを、真摯に学ぶということの価値に多くの人が気づいてほしいということである。
細谷雄一. 安保論争 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.500-503). Kindle 版.
軍事力を行使して平和を実現するということが、どれだけ難しくまた、どれだけ矛盾したことであるかを強調しても、強調しすぎることはない。軍事力の行使は、可能な限り回避することが最良なのであり、軍事力の最良の効用は抑止力として戦争を未然に防ぐことなのだ。
こ の よ う に し て 、 わ れ わ れ は 新 し い 軍 事 技 術 を 前 に し て 、 サ イ バ ー 空 間 や 宇 宙 空 間 が 安 全 保 障 領 域 と な っ た 新 し い 世 界 の な か に い る 。 古 い 安 保 法 制 で は 、 日 本 の 安 全 を 守 り 、 国 際 社 会 の 平 和 と 安 定 の 維 持 の た め に 貢 献 す る 上 で 、 十 分 な か た ち で 円 滑 に 「 法 の 支 配 」 に 基 づ い た 行 動 を と る こ と が 難 し い 。 そ れ を 、 新 し い 安 全 保 障 政 策 へ と ア ッ プ デ ー ト す る こ と が 、 今 回 の 安 保 関 連 法 の 主 要 な 目 的 で あ っ た の で あ る 。

 確かに国際社会の中での平和を真摯に学んではいないなぁ。

中国及び東シナ海については、

 フ ィ リ ピ ン の 空 軍 基 地 と 海 軍 基 地 か ら 米 軍 が 撤 退 し た あ と の 南 シ ナ 海 で の 中 国 の 軍 事 活 動 を 想 起 す れ ば 、 在 日 米 軍 基 地 か ら 米 軍 が 撤 退 し た あ と の 東 シ ナ 海 と 日 本 周 辺 地 域 に ど の よ う な 緊 張 が も た ら さ れ る の か 、 容 易 に 想 像 す る こ と が で き る 。 日 米 同 盟 が 崩 壊 し 、 日 本 の 防 衛 力 が 弱 体 化 す れ ば 、 東 シ ナ 海 に 「 力 の 真 空 」 が で き て 、 中 国 の 影 響 力 が 膨 張 す る で あ ろ う 。
な ぜ い ま 、 日 本 の 安 全 保 障 戦 略 が こ の 地 域 の 平 和 と 安 定 に と っ て よ り い っ そ う 重 要 と な っ て い る か が 、 分 か る は ず だ 。 そ し て 、 そ れ を 理 解 す る 上 で 重 要 と な っ て い る の が 、 現 在 ア メ リ カ と 中 国 が 軍 事 的 に 対 峙 す る 最 前 線 と な っ て い る 、 東 シ ナ 海 と 南 シ ナ 海 で あ る 。 こ の 二 つ の 海 に お け る パ ワ ー バ ラ ン ス が 、 こ の 地 域 の 安 全 保 障 の 将 来 を 決 め る こ と に な る で あ ろ う 。 海 の 安 全 保 障 を 考 え る こ と が 、 今 後 の こ の 地 域 を 考 え る 鍵 と な っ て い る 。
 もしも、グロティウスにならって東シナ海に目を向けるならば、われわれはそれを共に活用し、そこで協力関係を育むことも可能なのだ。すなわち、この地域の海を「国際公共財」として考えて、いかなる諸国も自由な航行を楽しむことができるような海にすることである。そのような考えこそが、中国が最も嫌うものである。
も し も 近 い 将 来 に 尖 閣 諸 島 が 中 国 の 支 配 下 に 入 れ ば 、 東 シ ナ 海 は ほ ぼ 全 域 が 「 中 国 の 湖 」 と な る 。 そ の よ う な 中 国 の 海 洋 戦 略 に と っ て 、 日 本 が 実 効 支 配 す る 尖 閣 諸 島 と 、 そ の 周 辺 の 領 海 、 そ し て 太 平 洋 へ の 海 洋 進 出 を ふ さ ぐ 南 西 諸 島 は 、 実 に 不 都 合 な 存 在 だ 。
 この地域における国際秩序の不安定化や武力衝突は、必然的に中国への対外投資を萎縮させ、活発な貿易活動を後退させるであろう。それは、中国経済にとっての大きなダメージとなるはずだ。この地域の平和や安定、そして友好的な国際環境こそが、中国の経済成長を支えてきた。政治的目的のために、経済を犠牲にすべきでない。それを中国の政府や市民に向けてアピールすることが不可欠だ。

 今の香港に対する中国の姿勢を見ていると、その驚異を身近に感じる。

 集団的自衛権について、

 日 本 が 集 団 的 自 衛 権 を 行 使 で き る よ う に 解 釈 を 変 更 す る こ と で 、 日 米 同 盟 を よ り い っ そ う 円 滑 に 機 能 さ せ る 必 要 も あ ろ う 。 こ れ は 、 防 衛 費 を 増 や さ ず に 抑 止 力 を 強 化 す る と い う 意 味 で も 有 効 だ 。

しかし現在も防衛費は増えている。

 それゆえ「集団的自衛権の行使禁止は政府が自らの憲法解釈によって設定したものであるから、その後に『事情の変更』が認められれば、かつての自らの解釈を変更して禁止を解除することは、法理論的に可能である」と語っている。これは実に、バランスのとれた公平な見解といえる。

憲法解釈の変更を容易にしても良いものなのか。

も し も 日 本 が フ ィ リ ピ ン と 同 じ 道(スービック海軍基地とクラーク空軍基地から米軍を撤退させた) を た ど り 、 自 衛 隊 を 廃 棄 し て 、 日 米 同 盟 を 解 消 す る 場 合 に 、 中 国 が 日 本 に 対 し て 友 好 的 で 親 切 に な る 保 証 な ど は な い 。 お そ ら く は 、 よ り 強 硬 な 態 度 を 示 す と 同 時 に 、 わ ざ わ ざ 交 渉 で 日 本 に 譲 歩 す る 必 要 を 感 じ な く な る だ ろ う 。 多 く の 場 合 に お い て 、 軍 事 力 を 失 っ て 生 ま れ る の は 平 和 で は な く 、 「 力 の 真 空 」 で あ る 。 歴 史 を 振 り 返 れ ば 、 「 力 の 真 空 」 こ そ が 、 そ れ を 埋 め よ う と す る 勢 力 の 衝 突 に よ っ て 、 戦 争 を 導 い て き た の だ 。
 ただし、不必要に軍事力を増強して、相手国に深刻な不安を抱かせることは、地域の安定には役立たない。相手との信頼を醸成する努力と、相手に攻撃の誘因を持たせない努力と、そのいずれもが必要なのだ。領土問題をめぐる対立を抱えている相手を信頼することは重要だが、相手を全面的に信頼して、自らの自衛力と同盟関係をすべて捨て去ることは必ずしも賢明な安全保障政策とはいえない。

 「不必要な軍事力」が現在問題ではないか。イージス・アショア、FMS(対外有償軍事援助)という名のアメリカからの軍事力の押し売りに対する爆買い。

 いかなる国も「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と謳った日本国憲法前文の国際協調主義

この前文ついてはどう考えるべきなのか。どのような形で協調するのが良いことなのか。

集団的自衛権、安保関連法案の分かりづらさ。

これまで内閣法制局もまた、日本は集団的自衛権を保有するという政府見解を示してきたことだ。したがって、日本では「戦後一貫して集団的自衛権が認められていない」と論じることは、誤りである。日本国政府は、内閣法制局の見解に基づいて、戦後一貫して集団的自衛権を保有することを容認してきたのだ。ところが、一九八一年以降は、政府見解として内閣法制局は、集団的自衛権を「保有」はしているが、「行使」はできない、というきわめて分かりにくく、矛盾をはらんだ論理を示すようになった。
多くの人々が安保関連法を批判したのは、政府の説明が不十分であった以上に、そもそもこの安保関連法が、安保法制懇の報告書、内閣法制局の憲法解釈の法理論、自民党と公明党の間の与党協議、そして防衛省・自衛隊からの具体的な要望と、さまざまな要素を融合させて、妥協的に合意したことに大きな理由があるのではないか。同時に、一一本の法律を束ねて起草して成立させたことで、その全体を包括するような、安保法制の哲学が見えてこなかった。私は、グローバル化の進む新しい安全保障環境のなかで、より効果的に日本の安全を確保するための国際協調主義の実践こそが、その哲学の中核に位置するべきだと考えている。さらには、それはまたすでに述べたように憲法前文の精神でもあった。それこそが、憲法の理念に立脚した立憲主義の精神ではないのか。

 歴史的なデータ等を引用しながら、いままでの安全保障とこれからの安全保障について書かれている。この本の出版が2016。それからの四年間で世界情勢も変わってきている。この本では専守防衛を切り崩すことはないだろうということだったが、イージス・アショアが無くなったことによる代替案として、敵地攻撃の可能性も出てきた。出版時のアメリカ大統領はオバマだったが、今はトランプ。このような変化に対応するためには、[はじめての哲学的思考]で書かれていたことだが、右派、左派のイデオロギーの違いや、正誤による二項対立から、視野を広げ、それぞれの最終目的である「平和」へと議論を昇華させていけるのが理想である。

 しかし、安倍首相に恩義があるのかもしれないが、安保法制が強行採決されたことに触れていないのは、いただけない。強行採決は決して民主主義的ではない。

 ちなみに巻末の文献案内では、安保関連法案への賛成派と反対派それぞれを紹介している。

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