回帰【エッセイ】一二〇〇字(本文)
本日は、東日本大震災から12年。心を痛めたあの津波の映像だけでなく、私たちが知ることのできないショッキングなことがある。親子が、夫婦が、近所のひとたちが、そして、級友がバラバラにならざるをえなかった、いや現在形の「えない」暮らしが。
昨年の3月12日に、エッセイ『群青』を書いた。
福島県南相馬市の小高中学校で誕生した合唱曲『群青』のことを取り上げた。この曲は、コロナ禍前の2019年に、初めて知った。早大エクステンションの「エッセイ教室」のクラスメイト、佐藤さんが所属する合唱団のコンサートで聴き。その佐藤さんは、昨年の7月に急逝。翌日のコンサートの練習中だった。いまご健在だったら、3月11日には必ず歌うことだろう。震災被災者と佐藤さんを追悼し、今年も取り上げたい。
ことしは、小高中学の在学生が歌った動画。
動画の途中、離ればなれになった同級生からのメッセージが入る。
動画の最終部のシーンで、TBSアナウンサー・安住紳一郎が映っている。2017年7月15日、TBSで生放送された『音楽の日』で“未来に伝えたい曲”として取り上げられ、合唱のシーンを編集したもののようだ。
南相馬市は津波による甚大な被害があり、小高中学校では生徒4名が亡くなった。さらに福島第一原発事故によって警戒区域に指定され、大半の生徒が全国に散り散りとなる。
「震災後は誰ひとり声を出せない状態だった」。そこで、小高中学の震災翌年の卒業生が仲間を思いやった「つぶやき」や「書き留めた言葉」を、当時、音楽教諭を務めていた小田美樹さんがまとめ、作曲し、『群青』を作った。小高中の生徒たちはその曲により、「また歌い始めることができるようになった」という。
その後、曲は全国に広がり、多くの人々に歌われるようになった。
旧避難指示区域内の小高区および原町区の住人の約4割は、住民登録を残したまま故郷に戻りたくても叶っていない(2023年1月31日現在で2,776人)。東日本大震災の全体の避難者数は、2022年11月1日現在31,438人。1年前から微減のままである。
ウクライナの国民の多くが国を離れざるをえなくなっているように、福島のひとたちは、故郷を離れ、いまだに戻れない人たち、戻ることができても、「群青」の故郷ではなくなっている人たちがいる。その現実を機会あるたびに、想いおこし、考え、支援するきっかけにすればいい、と思っている。
地震や津波は、防災施策で防げることもあるが限界がある。天災である。しかし、東日本大震災が他の大震災と異なるのは、人災の側面もあることだ。つまり、福島第一原子力発電所の事故である。原発事故がなければ、多くの避難者を出さずに済んだ。彼らは、津波では助かったひとたちだ。
しかし、岸田総理は、人災のもととなった原子力発電のアクセルを踏んだ。原油などエネルギー価格の高騰と国際的な脱炭素社会への動きを理由(いや、口実)にあげる。ただ、原発の安全性に対する疑問の声に何も答えていない。原発事故の危険性については、2011年の悲劇を目の当たりにする前から警笛が鳴らされていた。せめて直後からでも、脱原発をかかげエネルギー行政に着手すべきだったが、なにもやってこなかった。その無策を棚に上げ、「原子力回帰」を掲げるのは、本末転倒と言わざるを得ない。
(ふろく)
本日の主要新聞五紙のコラムを紹介します。読み比べも面白いですよ。
<追記>
さきほど、<岩手県立高田高等学校>さんから「スキ」をいただき、さっそく訪問しました。
高田高等学校でも、「東日本大震災の津波で被災し、校舎が損壊するとともに、現在も行方不明の方を含めて、生徒22人、教職員1人の尊い命が犠牲となりました」(noteから)そうです。
一歩一歩、復興をはかり、新校舎で力強く高校生活をおくられています。